「サラリーマンになりたい」時代から、自由に生きる時代へ
1980年代後半、まだ大学生だった頃に初めて渡日し、レストランで働く機会がありました。閉店後、その店のシェフがダークスーツに着替えて帰宅する光景を目にし、理由を尋ねたときのことです。すると、こんな答えが返ってきました。
「みんなに『サラリーマン』だと思われたいんだ」と。
彼によると、通勤電車の中で他の乗客から最も信用され、尊敬に値する格好が、サラリーマンのように見えるスーツ姿だということでした。「こうしていれば、誰も僕の仕事が何かわからない」と。「終業後、夜遅く電車に乗っても、『同僚と会食したり、お酒を飲んだりしていたのだろう』と思ってもらえる」というのです。
今では、そうした考え方は当時のように一般的ではないと思います。資本主義が保障する「自由」と共存し、「自分が望むような男になる道を選択する」という考え方が、より理解されるようになってきました。
マイナス面があるとすれば、言うまでもなく安定の欠如と、人生の長期的予測を立てることができない点です。そうした生き方を受け入れる男性がいる一方で、「歴史的な、男性の特質や男らしさの喪失」だと考える人もいるでしょう。
さまざまなタイプの男性が増えてきたという意味では、日本の働く男性たちも、米国の働く男性たちに似てきたと言えます。
とはいえ、日本と米国全体を比べると、生活や介護・社会サービス、福祉、ヘルスケアの質など、さまざまな面で、依然として日本が米国をはるかに上回っていると思います。
ジェンダーの多様性への理解は高まったが、法律が追いついていない
——過去10年余りで、欧米だけでなく、日本でも、性的マイノリティーの人々に対する理解をはじめ、ジェンダーをめぐる世論や社会通念が大きく変わり、多様化しました。「男らしさ」や「女らしさ」という言葉の使用を控えるべきだという声もあります。
日本をはじめ、多くの国々で、性的マイノリティーの人々に対する理解が深まり、以前よりはるかに受け入れられるようになったことは、過去20年における大きなニュースです。
日本では、現役世代の約8割が同性婚を支持し、性的マイノリティーの差別を禁じる法律を制定すべきだと考えているという話も聞きます。その点では、法律が世論に追いついていないと言えるでしょう。
男女をめぐる考え方を見直し、法律や公文書を通してだけでなく、企業レベルでも、ジェンダーに関する多様性を高めることが重要です。菅前政権は昨年、LGBTの差別を禁じるための法制化を(東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催前に)実現できませんでした。
岸田政権の意向はわかりません。性的マイノリティー問題に関し、日本でも多くの進展がありましたが、私は他の人ほど楽観視はしていません。国家も大企業も、経済など、他の問題を優先しかねないからです。そうなれば、進展が滞ったり、逆戻りしたりする恐れがあります。