「ゲイ」という概念を理解できない社会がある
とはいえ、人間以外の生物のホモセクシュアル行動は、地球上の人間諸社会におけるホモセクシュアルの多様さに接すれば、平板だとさえ見えるかもしれません。
人間の多様な性のあり方を語る上で、ここではまず、高地ニューギニアに住んでいるサンビア(仮称)の人々の同性愛についてお話ししたいと思います。
サンビアの人たちは、私たちが考えているホモセクシュアルやゲイというものを理解することができないと言われています。私たちはそういった言葉を用いて、ある人の性的傾向という社会的な属性を理解しています。基本的にはホモセクシュアルなどは、持続的な性的傾向であるとみなされるからこそ、「私はホモセクシュアルだ」とか、「あの人はゲイだ」とか、それを人の属性として表現するわけです。
ところが、サンビア社会ではそうではありません。彼らのホモセクシュアル、ホモエロティックな関係というのは、人生の一時期における男性のセックスのあり方なのです。
精液を体内に取り込むことで生殖能力を“獲得”する
サンビア社会では生まれてきた子どもは、生物学的に男性であっても女性であっても、女性性を備えているものだと考えられています。これに対して、男性性、男らしさというものは自然に獲得されるものではありません。そのため、少年が大人の男になるには、儀礼を行わなければならないのです。この「儀礼」、特に人生の節目節目で行われるものを「人生儀礼」、あるいは総じて「通過儀礼」と人類学では呼びます。
さて、サンビアにおける少年から大人の男性へと変わる儀礼とはどんなものかというと、それは少年たちに男性の精液を飲ませることを含むものです。7歳前後になった少年は、年長の男にフェラチオ(口唇性交)をすることで、精液を体内に注ぎ込まれます。中には食べ物にかけて食べたりもするともされています。
ともかく、このように男性性の源である精液を体内に溜め込むことによって、少年は男性としての生殖能力とたくましさを獲得していくのです。やがて15歳前後に成長した少年たちは、今度は年少の男の子たちに対しての精液の与え手となります。