結婚問題がなければ「しっかりした弟君」という評価に…
秋篠宮には、自分が天皇になろうという考えはないようだ。『秋篠宮』の中でも、「私は兄を支える、助けることに徹する」と語っているし、兄の次は、私も年だからできないと発言して物議をかもしたこともあったが、私心のない人なのだろう。
長女・眞子さんの結婚問題が起きなければ、兄である天皇を陰で支える“一家言持ったしっかりした弟君”という評価が定着したのではないかと思っている。
優等生的な兄に比べて、弟のほうはややヤンチャなイメージがあるが、『秋篠宮』によると、「三人(妹は清子さん=筆者注)の中で、子供の頃に一番、おとなしかったのは秋篠宮だったという。兄は木登りが得意でスッスッスッと、木の上まで登っていった。(中略)一方、秋篠宮は学校から帰ってきても、部屋に籠もり、誰かに引っ張り出されないと外には出なかった」。外で遊ぶ時も1人のことが多かったという。
身長180cm、体重62kg。彼が愛してやまないナマズのような髭を蓄え、顔立ちは母親似だが、性格は父親似で、「二人とも物事を理詰めに、論理立てて考えないと気がすまないタイプらしい」(同)
「自分勝手で独善的とも思える夫によくついて来てくれた」
そんな秋篠宮がヤンチャで活動的なイメージを振りまくようになったのは、学習院大学に入ってからではないか。2年生の時に出会って一目ぼれした「川嶋紀子さん」の存在が大きかった。
「あの時、出会わなければ、私は現在でも独身だった可能性があります」(同)とまで語り、「結婚して以来、今日まで、自分勝手で独善的とも思える夫によくついて来てくれたと感謝しています」(同)
しかし、祖父である昭和天皇の喪中ということもあったが、5つ年上の兄を差し置いて結婚するという秋篠宮に、周囲の目は冷たかったようだ。
結婚できないのなら「皇籍離脱する」とまでいい出したと伝えられるが、婚約から1年後に結婚。“3LDKの花嫁”紀子さんフィーバーが日本中で巻き起こる中、秋篠宮は人生最高の笑顔を浮かべていた。
これも私の推測になるが、子育てや子どもの教育に関しては、秋篠宮にも考えがあり、そう述べもしただろうが、主に“家内”である紀子さん主導で来たのではないだろうか。
それ以外にも、従業員の差配、当時の天皇、皇后とのやりとりなども、紀子さんが前に出てやっていたように思える。そうしたことから、秋篠宮家を代表するのは紀子さんで、秋篠宮は“紀子さんの夫”という世間の評判が定着していった。