家族を殺した凶悪犯は怖いと思わないが…

これまでの話を聞いていると、特別な悪人ではなく、家庭や社会のゆがみを引き受けやすい敏感な人間が、殺人事件や無差別殺傷を起こしやすいというように思えてくる。ということは、適切なアプローチをすれば、ほかの犯罪を行った人々より更生はしやすいのだろうか。

「私は家族を殺した人たちとも親しくしているけれど、怖いと思わないもん。自分が殺される感じがしない。でもやっぱり凶悪犯と面会していて、ゾクッとするときはある。ストーカー殺人とかの人は怖い。背が高くてすごくハンサムなんだけど、目が怖い。ちょっと簡単には近づけないかな」

刑務所の面会室
写真=iStock.com/YILMAZUSLU
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阿部氏が面会したのは、恋人へのDVとストーカー行為を繰り返したあげく、相手女性の家族を2人殺害した犯人だ。私から見ても、「好きだから殺す」という思考回路で行われるストーカー殺人は、無差別殺傷犯よりも、はるかにゆがんだイメージがある。

「あと、毒物を入れて殺したり、死体が見たくて殺したとか、そういう子たちはちょっと怖い。止められない殺人欲求を持っている。私が受けたケースは超エリート家庭で裕福ですけども、家庭環境は複雑でした」

それは、これまで話してきたような引きこもり家庭や家族間殺人、無差別殺傷犯の家庭とは、次元の違う異様さだと言う。

「夫婦仲も悪い。悪いというかなんというか、愛し合っている感じはしないけど、お金があるからつながってるみたいな感じかなあ。……まあ、ちょっと変わった家なんですよね」

阿部氏ですら、ニュアンスを伝えるのが難しいようだ。直感的に感じるところが大きいのだろう。

「ちょっと本人に会って何とかするってレベルではない」

「人を殺してみたかった」などの、純粋な殺人欲求による犯罪には、『名古屋大学女子学生殺人事件』と『佐世保小6同級生殺害事件』がある。加害者はどちらも未成年の女子だ。阿部氏は、この二人の背景がとてもよく似ているという。

「更生も、私にはちょっと見えないなあ。なんかもう医療のほうじゃないですか。私の手には負えないです。加害者家族のことは支えますけど、ちょっと本人に会って何とかするってレベルではないような気がしましたね」

引きこもり家庭のように「親と話す」だけでは変わらないということだ。同じように家族の問題に端を発していても、それだけではない、ということなのか。

「親とかが、もうちょっと違うかかわり方をしていたら、やらなかったような気がしますけどね。二人とも頭の良い子なので、解剖医とかになれば良かった。的確にそういう道に導く方法があったような気がしますけどね。もともとやっぱり『死体を見たい』とか、『人が死ぬところを見たい』という欲求はあったみたいだから、そこは家庭環境で加速しましたし、学校や社会の歯止めがまったくなかったようです」

ストーカーは一般的に独占欲から殺害に向かうと言われている。どちらも、「殺す」ことそのものが目的となった時点で、引き返せないのではないかと阿部氏は述べた。