「死刑になりたい」と言って事件を起こす人たち

同じ殺人でも、「人を殺してみたい」と「死刑になりたい」では、他殺か自殺かという意味で、根本にある犯行動機は真逆と言える。2022年1月には、東京・代々木の焼き肉店で、店長を人質に立てこもる事件が起きた。犯人の男は、その場で射殺されることを望んでおり、所持していた爆発物は偽物だったという。逮捕後は、「人生を終わらせてくれ」「死刑にしてくれ」などと供述していた。

「自殺したいんでしょうね。死刑になりたいというのは、自殺願望でしょうね。確実に死ねるから。『死刑になりたい』と言っていた人に聞きましたけど、『自殺だと失敗して障害者になると困るから、死刑だと絶対に死ねる』と言っていました。その人は、大きい事件は起こしていないですけど。現実的に自殺って難しいんじゃないですか。死刑は確実で、最低限の苦痛だといわれてますから」

つまり、形の違う安楽死のようなものだ。自殺が目的で殺人を犯すなら、死刑制度はまったく殺人抑止にならないということになる。

「犯罪を起こす人を見ていくと、人を殺すことの中に、自分が死ぬことも入っていると思うんですよ。社会的に死ぬわけだから。家族間殺人の場合も、心中しようと思ってやっている。死刑で死ぬのが怖いから止めようと思う人は、もともとやらないと思うんですよね。死刑制度がなくなったところで、凶悪犯罪が増えることもないと思いますけど。あんまりそこは関係ないような。むしろ確実に死ぬ方法にとって代わっていってしまうような気がする」

自殺未遂を繰り返していた無差別殺傷犯たち

「附属池田小事件」の宅間守も、「秋葉原無差別殺傷事件」の加藤智大も、「東海道新幹線車内殺傷事件」の小島一朗も、事件の前に何度も自殺未遂を繰り返している。そのとき、もしも死んでいたら、多くの犠牲者が出なかったことは確かだ。

「『死ぬ権利』みたいなのってどうなるのかなって、ちょっと考えたりもするんですよね。仮にですよ、自殺というものが認められて、ひっそりと死ぬようなことができるようになったら、殺人とかもなくなるのかなと思ったりもちょっとする。スイスで安楽死マシン『サルコ』が誕生したじゃないですか。あれですぐ死ねるんだったら殺人はやらないんじゃないですか」

私は想像して怖くなってしまった。確かに自殺幇助ほうじょとして安楽死が合法化すれば、死刑制度よりよほど殺人抑止になるのだろう。しかし、その発想はあまりにグロテスクだ。