地元の名士としての振る舞いとプライド

議論を戦わせても価値観が違いますから、話は平行線です。だったら実績をもって説得するしかない。金賞を獲って新聞にでも掲載してもらえれば、必ず評価してもらえるという確信がありました。

そうして実際に出品して金賞をゲットすることができると、父親がそれはもう喜ぶわけです。「現金だなあ(笑)」と思っていました。

さっそく受賞の事実をメディアに報告し、取材して記事にしてもらうことを考えました。しかし、それについても父から反対されました。父たちの世代では、こちらから新聞社に売り込みをかけるなんてことはするもんじゃない、恥ずかしいことだという感覚があったようです。あくまでも記者のほうからこちらに「取材させてほしい」といってくるもんだというプライドがあったんです。すごい上から目線ですよね。何様だって感じです(笑)。

確かに酒蔵の主人というのは、地元の名士というイメージを持っています。そして代々そうした気風を受け継いできたわけですから、そのように振る舞うわけです。だから、下手に出て「取材してください」とは言い出しにくいんですよね。一度染みついた仕事へ向かう姿勢というものは、なかなか抜けきれないもののようです。

「お客さんの顔が見える酒造り」を目指して

モンドセレクションの金賞を獲得したことで、地元で街を歩いていると、おめでとうと声をかけられるようになりました。

たぶん、その人はうちのお酒を飲んでいてくれているからそう言ってくれるのでしょう。「ああ、こういう人たちがうちのお酒を飲んでくれていたんだな」と気づきました。お客さんの顔が見えるっていいなと思えたんです。

自分のことのように喜んでいるお客さんを見て初めて、「こういうお客さんのためにいいお酒を造らなきゃいけない」と心底感じました。

その時、「お客さんの顔が見える酒造り」という言葉が思い浮かびました。

それまではリベートをよこせとうるさい酒販店や問屋の顔しか見ていなかった。実際に飲んでいるお客さんのことが見えていなかったんだと気づきました。

追い込まれて、「リベートばかり要求してくる酒販店や問屋を相手にしていたら共倒れになってしまう、もう自分たちで売るしかない」と思うようになっていきました。

どうせ売るんだったら、喜んでくれるお客さんに直接売っていきたい。そうだ。「お客さんの笑顔のため」という原点に戻ろう。そう思いました。

闇の中からひとつの光がポッと浮かび上がってきたようでした。