杜氏やベテラン社員がいなくなり、社員は次々とうつに
酒類販売業免許の規制緩和が起こって他のエリアでは量販店が進出し、安売りが横行していました。それは業界新聞などのさまざまな媒体で情報としてすでに流れていたんです。いずれはこの飛騨エリアにも波が襲ってくるかもしれない。いや、必ずやってくる。他のエリアで行われていることがこの飛騨エリアで行われない理由がないんですから。
専務になってからの2年間も手をこまねいているうちに減収減益が続きました。売上が2億6000万円台に落ち込んだ2002年にはもう限界を感じており、これで廃業か……というところまで追い込まれました。
付きあいのある銀行も手のひらを返したように冷たくなりました。設備投資した際に借入れした借入金の返済スケジュールを調整したいと相談に行っても聞き入れてくれませんでしたし、運転資金の借り入れも断られ続けました。
また、このころ相次いで、古いベテラン社員も退職していきました。杜氏は病気にかかってしまったために次の年は働けそうにないということになり、別の2人の蔵人は自主退職していきました。
また、社員にはうつ病の人が出てくるようになりました。うつ病というのは、伝染するようなところがあり、1人出たあと、2人、3人とうつの症状を訴える社員が出てきました。手をこまねいている内に、10人いた社員があっという間に半分になってしまいました。
そうして、品質の向上だけでは売上は増えないことを痛感して、味以外のところの改革に乗り出していくことになります。
父の反対を押し切ってモンドセレクションに出品
窮余の一策として考えたのが、お酒の品評会への出品です。第三者からの評価を得ることができれば、品質をPRする格好のネタになるだろうと考えたんです。
父は体裁を考えて、国内でも最も権威のある「全国新酒鑑評会」への出品を望みましたが、私は一般の消費者への訴求として海外のモンドセレクションに出品しようと考えました。
モンドセレクションに出品したいという旨を、社長である父に話したのですが、「そんなものは意味がない」と一蹴されてしまいました。やはり業界で評価の高い全国新酒鑑評会で金賞を獲ってこそ意味があるのだといって聞きません。
「じゃあいいよ、オレはオレでやる!」――そうタンカを切って自腹で出品することにしました。会社の金を使うわけじゃないからいいだろうといって強行したんです。