歳をとってから「慕われる人」を目指すのは無駄ではない

周囲の人にずっと慕われつづける人、尊敬されつづける人というのは、昔は身近にもたくさんいたと思います。

たとえば、学校の先生は、かつてはいまよりもずっと尊敬される存在でした。経済的な事情で旧制中学に進めなかった村一番の秀才が、学費のかからない師範学校を出て先生になるというパターンが多く、先生といえば地域のなかで特別に賢いとされる人たちで、生徒から一生慕われつづけることはめずらしくありませんでした。

また、私が子供のころは、医師もいまよりもっとオーラのある存在だったような気がします。血液検査もせず、聴診器を当てて、顔色を見るだけで「大丈夫」と言う。それだけで患者さんを安心させてくれるようなところがあったと思います。

この「安心感を与える」というのは、重要なポイントです。たとえば、精神科の診療では、医師に「必ず治る、大丈夫」と言われることで患者さんの気分が前向きになり、治療の効果が上がりやすくなるといわれています。私も長く通ってくる患者さんから、「先生の顔を見るだけで安心する」と言われたりすると心からうれしくなります。

少なくとも自分の周りの人に安心感を与えられる人、慕われる人になることをめざすのは、高齢期になってからでも遅くはありません。

定年退職後に本当の「実力主義」が始まる

精神科医の仕事は90歳になってもできます。でも、90歳になっても大学の医学部教授でいることは、日本の場合はできません。

組織の役職としての仕事は、ある一定の時期がくれば辞めなければなりません。つまり、肩書で考えれば、多くの人の仕事人生は50〜60代をピークに終わりを迎えます。でも、能力で考えれば、自分自身が続けられるかぎり仕事人生は終わることはなく、ピークももっとあとにくるかもしれません。

高齢者と財布
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会社員の場合、60歳(2025年4月以降、65歳)で定年を迎えれば、昨日まで部長だった人が一気に何の肩書もない人になります。年功序列で上昇していけるのは60歳までの話であって、そこから先の人生は実力主義です。そこでは、残っている能力をどう活かし、どう人の役に立つことをするかを考えることが大事になるのです。

私は大学院で、この15年、臨床心理学の教員をしています。この大学院は大学の心理学科を卒業していなくても受験ができるということもあり、臨床心理学専攻には毎年2、3人ほど、定年退職後の人が入ってきます。

東京大学や一橋大学などを出て一流企業に勤めていた人も多く、会社でよく部下の相談に乗っていたとか、人事部で社員の心の問題に接していたという経験から、定年後に臨床心理士として仕事をしたいと考えるようになったという人がよくいます。