問題ではなくタイムラインの潮目を読む人たち

なぜならば現代の情報環境下に生きる人々は、読むことから書くことを覚えるのではなく、書くことから読むことを覚えるほうが自然だからだ。かつてのようにしっかり読ませること「から」しっかり書かせるというルートをたどることは、僕たちの生きているこの世界の「流れ」に逆らうことのように思えるのだ。

現代において多くの人はまず、日常的に、脊髄反射的に、たいした思慮も検証もなく「書いて」しまう。それをまずは、しっかり「書ける」ように訓練を積んでもらう。その過程で「書く」ためには「読む」力が必要なのだと気づいてもらう。そして「読む」訓練をしてもらい、その上でもう一度「書く」技術を伸ばしてもらう。

「読む」ことではなく「書く」ことを起点にした往復運動を設計しないと、このプロジェクトは成功しないのではないか。いまの僕はそう考えて全体のカリキュラムと当日使うレジュメを見直している。

なぜ「読む」力が必要なのか。能力は高くないけれど、なにか社会に物を申したいという気持ちだけは強い人がSNSで発言しようとするとき、彼/彼女はその問題そのものではなくタイムラインの潮目のほうを読んでしまう。そしてYESかNOか、どちらに加担すべきかだけを判断する。

実業家と本
写真=iStock.com/bee32
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SNSで誰かに石を投げるのは簡単だが…

以前僕の友人の主宰するあるアートコレクティブが東京に大きな常設展示場を開設したときに、業界のある一派は一斉にそれを攻撃した。以前より業界から村八分にされがちな集団だったので、彼らとしてはいつものように石を投げたのだろう。

そのとき僕は知り合いのあるライターが展示を見てもいないのにやんわりと(自分が表立って強い言葉で誰かを非難しているように見えないようにだけ気を使いながら)そのアートコレクティブに石を投げていたのをたまたま目にした。

その人の前後の発言や過去の言及を調べ、これは完全にタイムラインの潮目を読んで点数稼ぎをしているなと判断した僕は二度とそのライターとは仕事をしないと決めてそっとFacebookをミュートしたのだけど、ここで重要なのはこのときそのライターはタイムラインの潮目(YESかNOか)だけを読んで、対象(展示)を一目も見ていないことだ。

そう、タイムラインの潮目を読むのは簡単だ。その問題そのもの、対象そのものに触れることもなく、多角的な検証も背景の調査も必要なくYESかNOだけを判断すれば良いのだから。しかし、具体的にその対象を論じようとすると話は全く変わってくる。そこには対象を解体し、分析し、他の何かと関連付けて化学反応を起こす能力が必要となる。