SNSの「炎上騒ぎ」が繰り返されるのはなぜか。評論家の宇野常寛さんは「これまでは『読む』ことの延長線上に『書く』ことがあったが、現代は逆転している。問題の本質を考えなくても、タイムラインの潮目をみるだけで安易に発信できる。もっと『読む』ことを見直すべきだろう」という――。

※本稿は、宇野常寛『水曜日は働かない』(ホーム社)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/P. Kijsanayothin
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なぜいま「発信できる人」が必要なのか

今月から「発信できる人になる」をテーマにちょっとしたスクールのようなものをはじめることにした。

これは、端的に述べると「宇野がこれまで身につけてきた〈発信する〉ことについてのノウハウを共有する講座」だ。情報収集、本の読み方、企画づくり、文章のストーリー構成、ライティングとコピーワーク、物書きとしての生き方、他人の才能を活かす編集術……1年位かけてぜんぶ教える講座を考えている。

そもそも、自分の責任で、自分の言葉で「発信する」というのは、職業にかかわらず現代人の基礎的なスキルになっていく(もうなっている)と僕は思う。だからコメント欄やソーシャルブックマークで見栄を張るのではなく、きちんとした文章で発信するようになりたい、と考えている人は少なくないはずだ。これはそんな人のための講座だ。

そのために読むこと、調べること、書くこと、誰かに書いてもらうことを、僕が考えてきたことを「すべて」シェアする。手探りのプロジェクトだけれども、受講者と一緒に作り上げていければと思っている。

「読む」と「書く」のパワーバランスが変化している

一般的に文章力は読書量にある程度比例する。もちろんただ数を読めばよいわけではない。たとえば本を読むことが手段ではなく目的になりすぎている人――「読書メーター」やAmazonレビューに投稿することや、ブックカフェでこれ見よがしに趣味が良いとされている本を広げることに夢中になってしまう人――は、本を読んでいる自分を好きでいることのほうが大事になって、あまり内容を理解していない/しようともしないことが多いのも半ば常識だと思う(もちろん、そうじゃない人もたくさんいる)。

しかしそれでも、絶対的な読書量がある程度ないと、文章の引き出しが少なくなってしまうことは間違いない。だから常識論として、「書く」力の基本は「読む」力だ。なので僕の講座でも、まずは「読み方」を(我流だけれど)みっちりレクチャーするつもりでいる。

そしてこうした前提の上で強く感じるのは、現代における「読む」ことと「書く」ことのパワーバランスの変化だ。今回の講座はちょっとこちらが予測できないレベルで反響が大きくて慌ててプレ開講を取り付けたものなのだけれど、端的に言えば僕はいま、読者の「書く」ことへの関心が想像以上に高まっているのを感じる。