超長寿化が進む日本。精神科医の和田秀樹さんは「60代後半から70代にかけての期間は、親や配偶者の介護や親しい人との死別、働き慣れた職場を離れるなど、さまざまな困難に直面する。介護を生きがいにする人が多いがそれは危険だ」という――。

※本稿は、和田秀樹『70代が老化の分かれ道』(詩想社新書)の一部を再編集したものです。

双眼鏡
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定年後の喪失感をどう克服するか

現在の60代後半から70代にかけての期間は、人生のなかでもいくつもの困難に直面する時期になったと私は思います。

親や配偶者の介護や親しい人との死別、働き慣れた職場を離れるなど、超長寿化が進むなかで、70代は新たな人生の節目となってきたと言えます。

若いときであれば、そうした人生の重大事も乗り越えていくことが比較的たやすいのですが、心身の機能が衰えてきた70代にとっては、かなりの負担になることもあります。

どうやってこれらの「70代の危機」を乗り越えて生きていけばいいのか、ここでは精神科医の立場から述べられればと考えています。まず、定年退職について考えてみたいと思います。

これまで勤めてきた会社の定年を迎えるということは、人生の大きな節目と言っていいでしょう。特に男性にとっては、人生=仕事のような生き方をしていた人も多く、ここから新しい自分の人生をどうつくっていくか戸惑う人も当然います。

勤めていた期間が長ければ長いほど、ある種の喪失感を覚えて、ふさぎ込んでしまう人もいます。

もしそれが、職場を離れたことで仲間を失ったという喪失感なら、また、同期で集まったりする機会を定期的につくってみましょう。昔の仲間と飲んだり、ゴルフをすれば、気分も晴れるはずです。もはや退職しているわけですから、気の合う仲間とだけ交友を楽しめばいいのです。

問題なのは、会社を辞めたことで、自分の人生や自分自身を失ってしまったかのように感じている場合です。そのような人は、「会社に勤めていたときの自分が本当の自分であった」、と考えていることが往々にしてあります。しかし、そういった考えは、錯覚にすぎません。

勤めているときは部長だった、専務だったと以前の肩書に辞めてからもいつまでも執着している人は、こういった錯覚をしがちです。肩書がなくなったことで、本来の自分ではなくなったような寂しさを感じるのです。しかし、肩書や属性はうわべの部分であって、あなたという人間の本質には関係ありません。

たとえば部長のときは親しくつき合っていた人が、自分が会社を辞めたとたん対応が悪くなったとしたら、その人はあなたの肩書を見てつき合っていただけなのです。そんな人間関係が、うれしいでしょうか。

やはり、自分という人間性を認めてくれて、親しくつき合える人こそ、親友と呼べるのは当然のことです。

私たちが大切にしているのは、その本質の部分であって、肩書などではありません。会社を辞めて、「ただの人」になったと落胆することはないのです。むしろ、肩書から自由になることで、まわりもあなたを本質の部分で評価しますし、あなたもありのままの自分を認めてくれる本当の人間関係をつくるチャンスが増えると考えることもできます。

また、仕事をしていたときの自分は能力を発揮していたし、輝いていたと思う人もいるでしょう。それに比べ、いまの自分はたいしたこともやっていないとがっかりするかもしれません。しかし、会社を辞めたいまでも、これまで仕事をがんばってきた経験やそこで得た能力、知恵などは、いまもあなたのなかにあるのです。

本質の部分は、会社を辞めたからといって、何も変わりません。がっかりなどせず、いまもあなたがもっている能力や経験を、次の仕事や社会のために役立てることを考えてください。

退職を契機に落ち込み、活動レベルが一気に落ちることは、老化を加速させる大きなリスクです。そのためにも、いつまでもふさぎ込んでいるのではなく、新たな仕事やボランティア、趣味の活動などを始めることをお勧めします。