「慶応大学の学生さんですよ」学歴コンプおばさん登場
翌日も午前中は留守番電話になったが、午後からは本人につながりだした。スクリプトどおりに話し、折り返しの番号を言うと、また笑う者がいる。何がおかしいのだろう。メモしやすいように速度をゆるめて話すことが変なのだろうか。それとも慶応大学の学生にとってメリルガン証券は、一笑に付す会社なのか。
そんなことを考えながら発信を続けていると、隣の席のおばさんが口を出してきた。
「そんなゆっくりした話し方じゃ失礼でしょう。相手は慶応大学の学生さんなんですよ」
メモしやすいようにゆっくり話すことが失礼になるのだろうか。慶応大学の学生には早口で話すほうが丁寧なのだろうか。言い返してやりたかったが、相手にせず電話を続けた。するとまた口を挟んでくる。
「失礼だって言ってるでしょう。相手は慶応大学の学生さんですよ」
この人はきっと学歴に対するコンプレックスを持っている。伝統があって偏差値が高い慶応大学の学生はすばらしいとでも思っているのではないだろうか。
伝え方次第で受け手の印象はがらりと変わる
だが、そんなことより、二度も言われて黙っているわけにはいかない。私も伝統ある大学のひとつを卒業している。こんな人には効果があるかもしれない。慶応には負けるが、このおばさんを黙らせるぐらいはできるだろう。
「慶応の学生に失礼とはどういうことですか? 私はこれでも明治を卒業してるんですけどねえ。明治のOB(※2)が慶応の学生にゆっくり話すと失礼になるんですか?」
※2:大学の卒業式後、飲み会があった。その日に卒業式をした大学はほかにもいくつかあり、新宿コマ劇場前の広場ではいくつもの若者グループが騒いでいた。われわれが校歌を歌うと、「明治卒業していきがってんじゃねえぞ!」という罵声とともに石が飛んできた。石を投げた人間がどこの大学の出身かはわからないが、彼もその後、大学などで人生が決まるわけではないことに気づけただろう。
少々強引な理屈だが、そう言ってやろうとおばさんに体を向けたそのとき、いつからそこにいたのかSVがタイミングよく入ってきた。
「自分の仕事をしていただいていいですよ。私が見てますから」
おばさんに向かって諭すように言う。
「だって慶応大学の学生さんにあんな話し方じゃあ……」
「私が見てますから、いいですよ」
おばさんは不満そうな顔をしながらも仕事に戻った。
私も発信を続けた。すると後ろで私の話し方を聞いていたSVが、笑みを見せながら柔らかに言ってきた。
「丁寧でこちらとしても嬉しいですが、もうちょっと速くてもいいかもしれませんよ。リズムも大事ですから」
言っていることはおばさんと同じなのに、言われたほうの受け取り方はまるで違う。アドバイスをもらったという気持ちになり、従ってみようと思える(※3)。コミュニケーション能力とはこういうことをいうのだろう。
※3:無理やり従わせるのではなく、従ってみようと思わせる。これができれば、うつ病をやむ社員は減り、パワハラで訴えられる上司も少なくなるのではないか。サラリーマン時代を振り返って、そう実感する。