彼女たちは心の痛みを緩和し、自殺を遠ざけたい
もしかすると表向き、彼女たちは享楽的な日々を無邪気に楽しんでいるように見えるかもしれない。だが、決してそれでよいと思っているわけではないのだ。隙あればその状況から逃れたいと願い、実際、逃亡も試みるが、すぐに連れ戻され、あるいは、一人で生計を成り立たせることができず、肩を落として元鞘に収まらざるをえない。そして、再び殴られ蹴飛ばされる恐怖と痛みの世界で、「助けを求めても無駄なのだ」と絶望している。
なかには、その地獄に奇妙な居心地のよさを感じてしまう人さえいる。子どもの頃から「一番承認してほしい人」から殴られて育てられてきた人は、しばしば愛情の絆と暴力とを混同し、男性からの暴力に「愛されている」と誤解してしまいやすい。
「覚醒剤と出会わなければ、そうはならなかった」という意見もあるだろう。しかし、はたして本当にそうか? 私の臨床経験に照らせば、覚醒剤と出会わなければ、代わりにリストカットや市販薬のオーバードーズ、あるいは拒食や過食・嘔吐に耽溺した可能性がある。いずれも、胸の奥にぽっかりと口を開く虚無を埋めて心の痛みを緩和し、今すぐ自殺するのをほんの短いあいだ延期する効果があるからだ。
恵まれた環境で育った子ならば危機回避は難しくはない
恵まれた環境のなかで自己肯定感を育まれた子ならば、そうはならない。これまでたくさんの承認を受けてきた蓄積があるから、「自分には力がある」「自分はそんな人間ではない」という確信がある。いつ田舎に戻っても、温かく迎え入れてくれる居場所があり、悪い男に捕まったら諭してくれる仲間がいる。だから、あやしげな誘惑を拒絶することにためらいがない。
こういった認識が生きるうえで役立つのだ。仮に不運にも覚醒剤のような薬物に手を出し、溺れかけてしまっても、そうした子ならば、周囲や専門家の助けを借りて薬物を手放し、人生の軌道修正を成し遂げるだろう。
もしも伊東氏が勘違いしているとすれば、まさにその点だ。