枕元では、姉2人が裁縫をしていたが、あまりの揺れに、「どうしよう、どうしよう」と泣き叫びながら長敬の上にうち重なってきた。長敬は、2人の重みで飛び起きることもできなかった。奥座敷からは、寝ていた父親の声が聞こえた。

姉たちとともに廊下に駈けだしたところ、壁が落ちているのにつまずき、将棋倒しになった。ころがるようにして両親の寝間に入ると、母親が声も出せず、うなっている。

どうしたことかと寄って見ると、大柄な下女が3人も母親の上に折り重なっている。地震が起こった時、片付けものをしていた下女たちは、夢中で主人の寝間に走ってきて、母親を守ろうとその上に押し被さったのだった。それが次々に3人もだから、かえって母親は死ぬほど苦しんだ。母親は、3歳になる子を守ろうと身をもって防いでいたのである。

火事が起きても自分と家族の命を救うだけで精一杯

その日は、新月の頃で、全く明かりがない。父親は、火をともせと叫んだ。ようやく蝋燭や提灯に火をともして見たところ、戸や障子は外れ、家具が散乱し、土蔵はみな土が落ちて柱が傾いている。

早く安全なところに立ち退こうと玄関前の広場に出た。火事が心配なので火は消した。

ところが、近所裏の茅場町辺の町家では、すでに火が出ていて、たちまち火の粉と光が目に入った。しかし、通常の火事と違い、警鐘も板木も鳴らない。誰も彼もみな地震の揺れで動くこともできず、ただ自分と家族の命を救うだけで精一杯だったのである。

長敬たちは、燃えては何にもならないというので、一番いい衣服を着、大小の刀も一番いいものを差し、お金もできるだけ持ち出して各自に分け、もし離ればなれになったらどうにか生き延びて、再びこの地に帰ってくるようにと申し合わせた。

黒い背景に真っ赤に燃える炎
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仲間の与力・同心25人が集まり、奉行所へ

周辺では、すでに大火事が発生していた。長敬は、お城が気がかりになり、金を投げだし、家族も見捨ててお城に駆けつけようとした。しかし、父親は、「夜中に大地震では城には入れない。それより仲間の若者をさそって奉行所に行け」と指示した。そこで長敬は、人を走らせて仲間の与力・同心を呼び、集まった25人で奉行所に出頭した。

奉行所では、町奉行池田播磨守が火事具に身をかため、玄関前で床几(臨時に使用する腰掛け)に腰かけていた。長敬は、奉行の無事を祝し、与力・同心の家の様子を報告し、何か御用があればと駆けつけたと申し上げた。

奉行は、お城に同心を遣わし、若年寄から、「上様は我々が御警固申し上げる。奉行所は市中の救護をせよ」との命を受けていた。そのため、被害者への炊き出し、御救い小屋の建設、怪我人の救護、必要な物品の確保、諸職人の呼び出し、売り惜しみや買い占めをする奸商の取締りなど、市中の救助や取締りを次々に指示していた。