大前青年、ノリで進路を決める
理系、文系で分けて進路を考えたことはない。偏差値がない時代である。自分が好きなことをやろうとしか考えていなかった。
本当はクラリネットが一番好きだった。高校時代の圧倒的な時間と情熱を音楽、ブラスバンドの活動に費やした。芸大に行こうと思っていたから個人レッスンを受けて、1日4時間以上練習していた。
しかし、あるとき友達から「芸大で音楽やって、趣味は何になるんだ?」と問われた。「クラリネットに決まっている」と答えたら、それはおかしいという。「クラリネットは商売にするんだろう。商売以外のものを趣味というんだ」
一番好きなことを商売にしてはいけない、という理屈はない。しかし音楽を心から愛する大前青年には一理あるようにも思えた。結局、大好きなクラリネットを一生の趣味にできるなら、「ほかは何でもいいや」という安直なノリで、早稲田大学理工学部応用化学科へ進んだのだった。とはいえ、入学式の初日に訪れたのは早稲田大学交響楽団で、そのまま4年間、結局オーケストラで過ごしたと言っても過言ではない。
大学1年(1961年)の文化祭、我々応用化学のクラスは「エネルギーの将来」という研究発表のパネル展示会を行うことになった。その準備委員をしていたときに「パトナム・レポート」というアメリカの報告書に出会う。1953年に発表されたこのレポートにはエネルギーの超長期の需給見通しがまとめられていて、「30年で石油は枯渇する」と結論付けていた。
レポートから50年以上が経過した今も、「石油は30年で枯渇する」と言われている。不思議なことにいつの時代も「あと30年」と言われてきた。現状の石油生産量や確認石油埋蔵量に基づく推定だから、掘削技術の進歩などで新しい油田が見つかるたびに石油の寿命は延びるのだ。
しかし石油資源が枯渇するという警告に初めて触れたときは大変な衝撃だった。自分もクラスメートも30年後には全員失業しているかもしれない。「これは絶対ヤバイじゃん」である。
石油資源は9割がエネルギーとして燃やされて、1割がプラスチックやナイロンなどの化学原料に使われている。地球が長い時間をかけて生成してくれた炭化水素化合物を、燃やして炭酸ガスと水に還してしまっていいのか。有限の石油資源は人間の生活を豊かにする化学原料として残しておいて、燃やす部分については別のものにしたほうがいいんじゃないか――。そう思って大学2年のときから勝手に原子力の研究を始めた。