ブランドだった「国立公園」が裏目に…
1956年、六甲山は国立公園に指定された。国立公園とは、日本を代表する自然の風景地を保護し利用の促進を図る目的で、環境大臣が指定する自然公園の一種である。当時は高いブランド価値があり、全国の観光地がこぞって申請した。だが、皮肉にも、自然保護のための厳しい法規制が六甲山の客離れにつながってしまった。
神戸市の久元喜造市長は「自然公園法によって、閉鎖された保養所や戦前に建てられた個人別荘などを建て替えることもままならない状況でした」と話す。
自然公園法以外にも法令による規制の網が何重にもかかっており、事実上施設の新設ができず、改築も相当制限されてしまった。六甲山の再活性化のためには規制緩和をする必要があった。
そこで、地元住民や民間事業者、経済界、学識経験者に国、県、市が加わり六甲山の再活性化に向けた協議を開始した。その流れのなかで、国では18年に自然公園法において「六甲山集団施設地区」を指定し、利用を促進するエリアを定めた。さらに、神戸市では18年、建築物の高さ制限を10m以下から13m以下へと緩和。さらに19年4月にはホテルやカフェなど観光資源となる建築物を新築できるようにした。そして、19年12月からは、クリエイティブな人材が集まるオフィスへの建て替え・改修も可能にした。
「これらの緩和にあたっては、もちろん乱開発につながらないように留意をしています。しっかりとルールを堅持することで、自然環境の維持と活性化、観光政策は両立すると思っています」(久元市長)
リモートワーク環境の整備も
加えて、17年以降、六甲山上の遊休施設の建て替えや改修にかかる費用を一部補助。20年5月には六甲山頂のビジネス利用を活性化させる取り組みを開始した。観光地としての六甲山を大事にするとともに、リモートオフィスやコワーキングスペースといった新しいタイプのビジネス起点として利用してもらうのが狙いだ。
この構想以前、六甲山頂には高速なインターネット回線が通っていなかった。通信事業者としては採算が合わなかったためだが、これではリモートワークなどのビジネス利用は難しい。このため20年に神戸市が8000万円を補助。ようやく光回線が敷設された。
さらに市街地よりも高く設定されていた水道料金も大幅に引き下げた。引き下げられた金額は施設の規模によるが、一般的な事務所では4分の1ほどに、ホテルなどの宿泊施設では最大で年間100万円も安くなるところもあった。これらの取り組みが知れ渡るに連れて、民間事業者からの相談が増えていった。