かつて「西の軽井沢」とも称された六甲山エリアが再び活性化している。法令による規制の網が何重にもかかり、建築物の改修や新築が制限されていたが、神戸市が規制緩和を進めたことでにぎわいを取り戻しつつある。ライターの小口覺さんが久元喜造市長に取材した――。
さびれていた頃の六甲山
写真提供=神戸市
さびれていた頃の六甲山。いくつもの法規制のせいで老朽化した建物を建て替えることができず、客足が遠のく負のスパイラルに陥っていた。

がんじがらめの法規制により建物の老朽化が止まらない

神戸の中心地から車で30分ほどの「六甲山ろっこうさん」。登山、ドライブ、ゴルフ、さらに名物のケーブルカーなど、関西では観光スポットとして広く知られている。

神戸の街は海と山に挟まれており、市街地・住宅地のすぐ裏が山になっている。東京の地理に重ねるとすれば、品川や汐留あたりの海岸から見て、六本木あたりはもう山で、新宿あたりが六甲山の山頂になるような距離感だ。

しかも山頂は標高931mと高尾山(599m)よりも高く、山頂から神戸の街はもちろん、大阪、和歌山方面まで一望できる。「100万ドルの夜景」(現在は1000万ドル)と呼ばれたのも、日本では六甲山が最初だ。

そんなロケーションに恵まれる六甲山だが、レジャー嗜好しこうの変化などから、六甲・摩耶エリアの観光客数は1992年の837万人をピークに減少。95年の阪神・淡路大震災で壊滅的な打撃を受け、225万人まで減った。1990年には228カ所だった別荘・保養所は、2018年までに56カ所となっている。

なぜ客離れが進んだのか。それは土地利用に関するさまざまな法律で規制され、建て替えができなかったからだ。代表的な規制が国立公園に適用される自然公園法である。