ロシアは北方領土で軍事演習を開始
ロシアと中国との間に「領土問題」を抱えている日本にとって、日米同盟や西側諸国との友好関係が一定の抑止力になっていることは言うまでもない。いざという時に助けてもらうのだから、それらの国々が足並みを揃える「対ロシア包囲網」に参加しないわけにはいかないというわけだ。戦闘自体はウクライナで起きているものの、日本もこの戦争の「当事者」というわけである。
国民の大多数は、日本はウクライナ国民の命を救う人道支援や、戦争をやめさせるような働きかけに協力をしているだけという“第三者的ポジション”だと思い込んでいるが、客観的にみれば、我々はもうこの戦争にガッツリと参加している。実際、ロシアは日本を「非友好国」と呼び、北方領土で軍事演習も開始しているのだ。
日本は未だかつて経験したことのないような「岐路」に立たされているような印象を受ける方も多いだろう。しかし、それは我々の多くが「戦後生まれ」ゆえの錯覚だ。
今、90歳から100歳くらいの方たちからすれば、今の日本国内の「正義の戦い」を支持するムードや、知識人やマスコミによる「西側諸国ともっと連携を」という呼びかけは「やれやれ、またかよ」という既視感しかない。
80年ほど前の日本も「人類の敵」と戦っていた
というのも80年ほど前の日本社会も「西側諸国と連携して人類の敵を倒せ」の大合唱だったからだ。「戦争をしても死ぬのは国民なんだから話し合いで解決しない?」なんて口走ろうものなら、SNSでボコボコに叩かれるように袋ただきにされるのも同じだった。
ただ、ひとつだけ違っているのは、連携する「西側諸国」はドイツとイタリア、そして「人類の敵」がプーチン大統領ではなく、アメリカのルーズベルト大統領だったということである。
当時の日本人が考える「正義の戦い」がどういうものかを理解するのにうってつけなのが、ナチスドイツのアドルフ・ヒトラー総統の「演説」である。
戦後はその名を口にするのも憚られる「狂気の独裁者」というイメージが定着しているが、実は当時の日本人とってヒトラーは日本をベタ褒めする親日家で、連戦連勝の天才的戦略家として人気があり、今のゼレンスキー大統領どころではない「異国の英雄」だった。だから遠く離れたドイツで行われた演説もすぐに要約されて、新聞の1面を飾った。
例えば、1941年12月7日(現地時間)の真珠湾攻撃の1週間後、アメリカに宣戦布告をしたヒトラーの演説は「最後の勝利確信 人類の敵 米の野望」(読売新聞1941年12月13日)と大きく報じられ、多くの日本人の留意を下げた。その一部を抜粋しよう。