日本にしかできない国際協力があるのではないか
80年前、日本は「正義」の名のもとで中国や東南アジアに進出したが、そこで現地の民間人の命も多く奪った動かし難い事実がある。また、自国民も約300万人が亡くなっている。そして、アメリカ側も「正義」の名のもとで都市を空襲して、広島と長崎に原爆を落とした。こちらも犠牲になったのは無数の市民で、日本の戦争指導者たちはほとんど無事だった。
今起きていることも基本的には変わらない。ロシアは「正義」の名のもとにウクライナ国民を惨殺している。一方、ウクライナ側も、捕虜にしたロシア軍兵士を膝まづかせて殺害した動画が報道されている。「正義」と「正義」のぶつかり合いで犠牲になるのは、常にそれぞれの国で最も弱い立場の「国民」なのだ。
そんな「正義の不毛さ」を、我々はどこの国よりも思い知っていたはずではなかったのか。
「もっと西側諸国と連帯せよ!」という叫びが社会に溢れる今だからこそ、少し冷静になって、自分たちがかつてロシアとまるっきり同じ立場だったことを思い出すべきだ。
個人的には、欧米の“2軍的立場”で対立を煽るのではなく、トルコのようにどちらの国とも友好関係を維持したまま、「仲裁」に奔走することこそが、日本にしかできない国際協力ではないかと考えている。
少なくとも、「プーチンを倒せば平和が訪れてハッピーエンド」という、ハリウッドの戦争アクション映画みたいなお花畑的なストーリーは懐疑的に見るべきではないか。