3つめの滅びの種は「飲み放題」の誕生
さて2000年代、日本経済は長期のデフレ経済に突入します。この時代に消費者のハートを射抜いた酒類業界の戦略が、3つめの滅びの種である「飲み放題」でした。
飲み放題というのは1980年代にも存在しましたが、今のようにどの居酒屋でもデフォルトで存在するようなサービスではなく、ごく一部のお店でしか存在しないサービスでした。それが急速に広まった結果生まれたのが泥酔文化です。
今の若いビジネスパーソンにこんな話をしてもぴんと来ないかもしれませんが、1980年代のビジネスの場では飲み会が4次会まであるのがある意味あたりまえでした。具体的にはお客さんとの会食が設定されたとします。それがお開きになると当然のように同じお客さんと2次会に行くのです。銀座のクラブはこうした2次会需要で大賑わいでした。
1次会の「たった2時間」でみんなベロベロになる
そうやって2次会を終えてお客さんにお土産をもたせてタクシーに乗せたら、内輪で反省会を開きます。これが3次会。上司からいろいろとお叱りを頂戴して3次会が終わり、上司がタクシーで帰ると、
「やってらんねえよなあ」
と言う先輩に誘われてしめのラーメンと一緒にビールを1杯。この4次会が午前3時頃でお開きになって、また翌日、新しい営業活動が始まる。これがひとりあたりの酒類消費量が多かった時代のビジネスパーソンの1日でした。
昭和の時代には1次会で完全に酔っぱらうのは学生ぐらいで、社会人は1次会では正気を保つ義務がありました。この文化を壊して泥酔文化を誕生させたのが飲み放題です。以後、1次会の2時間で参加者は完全に酔っぱらうようになり、かつ、接待も飲み会も1次会で終了するのが日本の新しい文化になってしまいました。
このように歴史をひもとけば、若者のビール離れが起きているのではなくて、ビール会社が売上を伸ばすために導入した3つの戦略によって、若者がビールを飲まなくなったという論理が正しいことがわかるでしょう。ビール工場が閉鎖されて怒っている従業員は、世の中ではなく30年前の経営陣を怒るべきです。自ら蒔いた滅びの種が今、ブーメランで戻ってきているのですから。