「ここに住んでいてよいのか」
私は若い頃、放射性物質を医学に利用する核医学の研究をしていました。その知識を生かし、福島の今のためにできることを少しでもやろうと考え、2011年、福島市や郡山市を中心に福島県内の小中学校、公民館などで幾度も放射線に関する講演会をさせていただきました。私が主に伺ったのは、線量率が県内で中くらいとでもいうのか、7月(講演会のピーク)の段階で毎時1.0μSv(マイクロシーベルト)を少し超えるくらいの地域でした。
ただ、 私個人は行政施策の中心に居るのでもなく、医学的調査を手掛けている訳でもありません。あくまで放射線医学の専門家かつ地域に関係する者として、知っていることを過不足なく伝えるように努めました。
講演のために初めて小学校に赴く前には、果たして住民の方が求めるようなお話をできるのだろうか、と心配していました。でも、その日――その日は郡山の小規模な小学校で六年生5人だけが聴衆だったのですが――、子どもたちの真剣な眼差しを見るうちに、そのような心配はするべきものではない、と実感しました。今、自分に必要なのは、なすべきことを粛々とやることだと思ったのです。これが保護者の方や地域の方が加わる講演になると、さらに本質的な質問がずばずばと飛んできます。
質問の多くは端的にいって、「ここに住んでいてよいのか」ということでした。
そして、これに対する答えは、「自分で決めるしかない」に尽きると思っています。
この答えは、質問した人から見ると、歯切れの悪いものだと思います。質問を受けるたび、「住んでいて大丈夫です」とか、「住むのは危険だからすぐに引っ越してください」などというような明確なメッセージを期待されていることを感じます。それでも結局この答えを繰り返すのは、住めるかどうかは、非常に小さな確率で存在する健康リスクを各々がどう評価するかにかかっているからであり、評価基準は個人の領域であると私は考えるからです。
私は放射線の問題については、下記に述べるような前提のもとで、自分で決める権利(自己決定権)が尊重されるべきだと考えています。