判断材料の提供が足りない
自己決定権を尊重すべきといいましたが、日本人は自己決定があまり得意ではありません。
「自分で決める」には、住むか住まないかだけではなく、食べものの選択や放射線防護などの対策をどの程度するのか、日常生活における行動に至るまで、さまざまなことが範囲に含まれます。そして、これは、もちろん福島県にいる人たちの固有の問題ではなく、日本人全体に関わることです。誰しもが「自分で決める」ことを迫られているのです。
ただし、自分で決めることをどの地域でやってもよいのかというと、そうではなく、境界線があってしかるべきだと思います。この線引きの根拠もまた、健康リスクの大きさによることになるでしょう。換言すると、原子力発電所のごく近隣などの一定の地域については、人が住まないように行政が指定することが妥当と考えています。健康リスクがこの程度の大きさと推測されるから、この線から内側には住居を構えないでください、という線を引くわけです。福島県内でも、多くの地域はこの線の外側にあると考えられるので、「自分で決める」ことが適切だということになります。
個人や集団が自分で決めるための、情報提供を含むさまざまな支援に、行政や専門家は最大限努力すべきであり、それらが行われていることが、「自分で決める」という答えの前提になっています。しかし実際は、必要な支援が十分にされているかというと、まだ心許ない状況が続いていると思います。
こうした状況下でも、地域ごとの健康リスクの大きさがわかれば態度を決められるのですが、これが思いのほか簡単なことではありませんでした。そのあたりの具体的な課題をこの連載でご説明していきます。
次回は健康リスクの大きさの判断に重要な、各種の測定について記したいと思います。