成り立ちは「いろいろなところに書かれている」というが…
では、島の生き物はどのようにして島々にたどり着いたのか。悠仁さんは、
ガイドブックには以下のように書いてあるという。
悠仁さんの作文には、参考文献が1点だけ明記されているが、上記のガイドブックはない。
北九州市立文学館のHPにある応募要項には、「他人の文章を勝手に使ってはいけません」と注意があるが、ノンフィクションと謳ってあるのだから当然であろう。
文学館側は、ガイドブックと同じ言葉が使われていると認めてはいるが、小笠原諸島ができた経緯はいろいろなところに書かれているから、その事実を調べて作品として紹介しているのだから、「特に問題はないと考えております」と答えている。
苦しいいい訳である。だが、将来の天皇が書いたものを、「盗作だから取り消す」ことはできまい。
「自主性重視」教育が追い込んでしまったのでは
週刊新潮で、秋篠宮家の関係者が、「今回の件は、悠仁さまが無自覚になさったこととは到底思えません」と語っている。
推測に過ぎないが、秋篠宮家の「自主性重視」教育が、悠仁さんや母親である紀子さんを知らず知らずのうちに、心理的に追い込んでしまったのではないのだろうか。
デイリー新潮(2月18日)は、「宮内庁は、悠仁さまが参考文献の記載が十分でなかったとの考えであることを認めているが、母の紀子さまはこの事態に驚かれ、悠仁さまをお叱りになられたという」と報じている。
宮内庁担当記者によれば、
「作文の元となった旅に同行された紀子さまはこの事実を知って絶句され、悠仁さまをかなり叱られたと言います。悠仁さまの文章力を高く評価されていたのが他ならぬ紀子さまでしたから、少なからずショックだったのではないかと聞いています」
宮内庁側は「参考にはしたが文末の参考文献への記載漏れだったことを明らかにしている」(デイリー新潮)という。うっかりした記載ミスだったことにしたいのであろう。
ミスをしても、誰かがなかったことにしてくれる。望む学校には試験なしでどこでも入ることができる。彼のそうした生き方を、配られたカードで勝負するしかない平民の子どもたちは、どう見ているのだろう。
一度、「親ガチャ」について、秋篠宮悠仁さんに聞いてみたいものである。