ノネコ管理計画では「猫をゼロ」しかゴールがない
神奈川県では犬猫殺処分ゼロを継続しているが、そのために収容施設が保護された犬猫であふれているという報道を聞き、服部氏は胸が痛んだという。たしかに本来はその地域ごとに、その地域の犬や猫を守るのがベストだと私も感じる。
奄美大島では固有の生態系を守るため、環境省が「森から猫を完全に排除する」と決め、ノネコ管理計画を遂行しているが、齊藤氏は「生態系は絶妙なバランスで成り立っているのではないか」と指摘する。
「たしかに猫が増え続ければ、ウサギは少なくなるのかもしれません。でも反対に猫がいなくなればネズミが増えて、ハブも増えていくかもしれません。森には自然があり、そこにしかいない生き物がいる。そこに人間が持ち込んだ猫が棲み付いた。人間がいる以上、“もとの生態系”に戻すことができるのかどうか……。それぞれのバランスがとれた、ちょうどいい“おとしどころ”を探るのが大切だと思うのですが、ノネコ管理計画では“猫をゼロ”にするゴールしかないのです」
猫を殺すことで「自然を守る」という発想
ノネコ管理計画に関与したある専門家も「90%ではなく100%猫を排除しないといけないのがこの政策のゴール」と息巻く。
「マングースならワイヤーがしまって窒息させる罠があるけれども、猫は動物愛護法の観点から捕殺ができないんですよ。だから生け捕りにして、誰かほしい人がいるかいないか。誰もほしい人がいなければ早く殺したほうがいい。いわゆる外来種という駆除を前提とする動物に対して、動物愛護法の観点があるのは、わが国だけですよ。海外なら野良猫は人の管理下にはないのでハンティング対象ですし、その場で殺処分」
この発言を聞いて、あなたはどう思うだろうか。生態系を守る、自然を守るという大義名分の下、人が動物を排除することは傲慢で危険な思想だと私は感じる。
2015年、「奄美の明日を考える」シンポジウムで鹿児島県内の小学生がこう発言した。
<大人のみなさんにお願いです。森で捕まえた猫に新しい飼い主が見つかるまで、猫を飼っておける施設を作ってください>
次世代に受け継ぐものは「自然」ではなく、その地域ごとの「共存の道」ではないのだろうか。