「気持ちがこもってないように感じる」人は7割弱

2022年1月公開の「キャッシュレスと日本の贈り物文化に関する意識調査」によれば、調査対象の9割以上の人がキャッシュレス決済を使用している。だが、お賽銭・冠婚葬祭費・お年玉に関しては、半数以上がキャッシュレス化を望んでいない。中でもお賽銭については、最多の67%以上が望んでいないというのである。

その理由として一番多く挙げられたのは「気持ちがこもっていないように感じるから」というものだ。「気持ち」というのは参拝者の内面の問題であって、お賽銭の形式とは一見無関係のように思える。なぜ現金には気持ちがこもり、SuicaやQUICPayにはこもらないのだろうか。呪術的思考という観点から考えてみよう。

物体にケガレを背負ってもらう“接触呪術”

いつから寺社参拝には、お賽銭がつきものになったのか。諸説あるようだが、古くは神前には米が供えられていたものが、貨幣の浸透とともに金銭に置き換わっていったとされる。

寺社にとっては、現物の米より、消費期限もなくほかの品との交換価値が高い貨幣のほうが便利なのは間違いない。その意味で、貨幣を供えるようになったこと自体、新技術の導入だったと解釈することもできる。

だが、お賽銭が貨幣であることには、ほかの理由も考えられる。例えば「ケガレの浄化」という呪術的観点からの説明がある(新谷尚紀『民俗信仰を読み解く なぜ日本人は賽銭を投げるのか』文春新書)。それによれば、貨幣に自分のケガレをなすりつけ、それを神仏のもとに納めることで、ケガレが祓い清められるという。

こうしたタイプの呪術は「接触呪術」と呼ばれる。神社に形代(カタシロ)を納めたことがある方もいるだろう。神社では、一年の節目の6月と12月、ケガレや災厄を清める大祓おおはらえが行われる。

筆者の氏神神社では、大祓にあわせて神社から家族の人数分の形代が届く。形代は、人形(ヒトガタ)とも呼ばれるように、人体を大まかにかたどった紙で、それぞれに自分の名前と年齢を書き、頭や体をなでて息を吹きかける。それを神社に納め、清めていただく。

ポイントは形代と身体の接触だ。接触呪術の軸は「かつて接触していたものは、接触が途切れた後も、その影響が残る」という想像力である。身体と形代を接触させることで、その人の霊の一部が形代に移行し、いわば分身となる。その結果、形代を清めれば、本人の罪障も清められるというわけである。