突如殺された同級生に対して思ったことは…

岡山県での殺人事件がネットニュースで流れ、被害者としてOの名前を見つけた。向かいの部屋に住む同世代の男に、「生意気だから懲らしめてやりたかった」との理由で刺されたのだ。

加害者とは前の職場が同じで金銭トラブルもあったと報道され、これは元同級生とも、「お気の毒じゃけど、なんかOっぽい最期じゃなぁ」などと、しみじみ話した。

ノスタルジックな日本の古民家
写真=iStock.com/:Actogram
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50半ばを過ぎ、独身で無職でワンルーム暮らし。それだけを取り上げ、かわいそうだなどとは失礼だ。本人が幸せだ、楽しいこともあるとご機嫌なら、かわいそうじゃない。

そう、かわいそうっていうのは、成人に対してはかなり失礼にもなり得る言葉と感情だ。

もちろん、理不尽な事件や事故に巻き込まれたり、本人に責任のない病気にかかったなど、これはお気の毒だと同情申し上げる際に使うこともある。克服していただきたいと応援したくなる気持ちからだ。

被害者と加害者の共通点

Oははっきり、かわいそうである。

被害者であるのは前提として、Oはきっと加害者を、こいつになら勝てると見くびったから、生意気な態度が取れたのだ。それは加害者も同じで、Oを下に見ていたからこそ、生意気な態度を取られた、と逆上したのだ。

おそらく加害者もOも、同じような子ども時代、青年期と中年期を生きたのだろう。さすがに、2人が最後のところで入れ替わっていたかもしれない、とまでは考えたくないが。同族嫌悪の結末を見れば、ふとそんな想像も過ぎってしまう。

あの時、あなたは何を言おうとしたのか

さて私は中学時代、Oとはほとんど接した覚えもない。Oは卒業後、私のことなど忘れていると思っていた。

それが高校生の頃、商店街でOとすれ違ったら、「あっ、作家の人じゃ」といったのだ。Oはそのまま、行き過ぎていった。そして、二度と会うことはなかった。

私は子どもの頃から本が好きで、作家になりたい、といっていた。まさかOが、それを覚えていたとは。

そのときの私は、まだ高校生だ。

Oが私の背伸び、大望をからかうつもりでいったのか、私を何かしら励まそう、みたいな気持ちでいったのか。わしは覚えとるで、お前もわしを覚えとるよな、といった意味でいってみたのか。

今となっては、まったくわからない。

ともあれ私はOの言葉通り、本当に作家になった。

Oの事件のときは、最後に会った商店街のことを思い出しはしたが、ぼんやりと悲しみを覚えただけだ。

今回の無関係な電車内暴行事件の方が、強くOを思い出させてくれた。