現実を直視できているか

本書の「不安の消極的な解決」のところで、合理化の話をしました。合理化によって、その場の不安から逃れることはできても、結局、心は弱くなっていく。また、どれほど弱くなっているかということは、本人でも分からないと述べました。

しかし実は、合理化のせいで我々がどのくらい弱くなっているのかを意識する方法はあります。その方法こそ意識領域を拡大することです。合理化の裏には、無意識的な力が隠されています。我が子を感情に駆られて殴っておきながら、しつけと言っている。本当にそう思っている人がたくさんいます。そうした無意識の力、隠しているものを意識することが、不安の積極的な解決になるのです。

実は多くの人は無意識のうちに成熟を拒否しています。意識の領域でなんといおうと、まさに、フロイトが「我々は常に苦しみたがる」と言っているように、無意識のところでは不幸を望んでいる場合が多いのです。そのように無意識と意識が矛盾して葛藤しているから、我々はますます不安になっています。

ですから不安を感じる人は、何か具合が悪いことが自分の中でいま起きているのだということを、はっきり認識しなければいけません。それこそが、不安の積極的解決です。

広々としたリビングルームで親子3人がトランプで遊んでいる
写真=iStock.com/kohei_hara
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家族みんな幸せと言い張る母親

ある統合失調症の娘とその母親の話です。母親は自分の不幸を否定したばかりでなく、娘の不幸も否定しました。「家族みんな幸せ」と言い張ったのです。「家族みんな幸せ」という硬直した見方に固執し、「私は幸せだ」と言う。娘が統合失調症を病んでいるという現実を前にして、「家族みんな幸せ」と言い張り続けました。

そのくらい現実を認めることはつらいことなのです。

「夫人が自分の不幸だけでなく、ジューンのみじめさをも否定したことは注目に値する。」(『狂気と家族』R・D・レイン、A・エスターソン〈著〉、笠原嘉・辻和子〈訳〉、みすず書房、189頁)

こうした現実否認が、さらに事態を悪化させます。逆にいえば「苦しみが救済と解放につながる」とアドラーが言っているように、現実を直視することが解決につながるということです。

「本当のことを認めるくらいなら死んだほうがいい」というのは、「苦しみは救済と解放につながる」ということとは、まったく逆です。そして、とにかく独りよがりの論理にすがろうとする人もいます。