不安な時は人生の岐路

どんなに自分は正しいと思っても、周囲から孤立している時には「自分は無意識の領域に問題を抱えているかもしれない」と考えたほうがいいでしょう。

どんな人の人生でも、次々と問題が起きます。その問題に対処し、それを解決していくところに生きる意味が生まれてきます。生きることは問題を解決することなのです。

いま、日本ではドメスティック・バイオレンスや不登校、引きこもり、パワーハラスメントが増えています。学校ではいじめがなくならない、というように次から次へと問題が起きているのも、これが原因です。

親になったけれども、親になりきれなくて、子どもを虐待してしまう人は、虐待をしたくてしているわけではありません。虐待なんてしないほうがいいことは、本人にも分かっている。しかし、虐待をした親は、その時は反省しても、再び同じことを繰り返してしまいます。

現代人は、誰もが生きることに手一杯で、自分の能力を超えて生きているのです。共同体の中で個人としての存在が担保されなくなった結果、社会にさまざまな歪みが生じているのです。

しかし、だからこそ「不安な時は人生の岐路」と捉えてほしいのです。現代の消費社会、競争社会において、潰れてしまうのか、それとも本当に強い人間になって、最後まできちんと生きられるのか、という岐路に立たされているのです。生きることは問題を解決することなのです。

不安への対処で人生が決まる

そういう意味では、「自分は神経症的傾向が強い人間だ」と意識することができたなら、「自分にはまだ広大な可能性が残されている。人生はこれから」と考えていいのだろうと思います。

神経症的な不安とは、その人のパーソナリティーに何か具合の悪いことが起こっており、不安とはそれを知らせる警告です。その不安に対し、積極的に対処できるか、それとも消極的に対処するかによって、人生が大きく変わってきます。不安への対処の仕方によって、人生が決まってしまうのです。

神経症的不安のせいで、絶えずさまざまなことで悩んではいますが、問題は一つひとつの悩みごとだけではなく、そもそも人間関係にあります。人間関係に何か具合の悪いことがあり、その具合の悪さが悩みの根っこに横たわっています。