テンセントのアプリ「微信」の真の狙い

2010年10月、騰訊控股(テンセント)の小さなチームが南部の広州で、あるプロジェクトをはじめた(1998年に設立されたIT企業テンセントには、マイクロソフト・リサーチ・アジア出身の従業員が大勢いた)。しかし、その新プロジェクトに注目する人はほとんどいなかった。

彼らが開発しようとしていた「微信」というアプリは、それほど画期的あるいは革新的なものには見えなかった。テンセントには有名なPCアプリのインスタント・メッセンジャー「テンセントQQ」があり、すでに誰でもコンピューターを使ってメッセージを送信することができた。ほかに、フェイスブックに似た「QQ空間」(Qzone)というソーシャル・ネットワーキング・サービスもあった。その時点でQQには、7億8000万人近い利用者がいた。

プロジェクト開始から約3カ月後の2011年1月21日、テンセントは新しいモバイルアプリ「微信」を公開した。テキスト・メッセージにくわえ、音声データや写真を送信する機能など、いたって基本的なサービスを提供するアプリだった。当時この分野を席巻していたアメリカ製アプリWhatsAppは、その前年に発表されていた(WhatsAppはのちにフェイスブックに買収された)。

だとすれば、この中国企業が開発した平凡なメッセージング・アプリは、すでに競争の激しい市場でいったい何を提供できるというのか?

「当時は」とイルファンは説明する。「どの通信会社も独自のメッセージング・アプリをもっていて、それぞれ一定の人気を得ていました。微信は、それらをひとつのプラットフォームにまとめた。それこそがわたしたちが求めていた解決策だったんです」

フェイスブックやツイッターを超える人気を博した微信

微信(世界版はWeChatとして展開)はすぐに人気を博した。利用者は1年で1億人、2年で3億人に達した。同じ数の利用者を獲得するまでに、フェイスブックは4年、ツイッターは5年の時間を要している。

時間がたつにつれて明らかになったのは、微信の成功の一部は、巧妙なマーケティングにくわえ、携帯電話をとおして生活のすべてを完結できるという徹底した機能性にあるということだった。アプリ内では新しい機能がつぎつぎとリリースされた。

病院の予約、タクシーの手配、セブンイレブンでの支払い、ハウスクリーニングの依頼、デート相手のマッチング、投資の管理……。ライバルであるWhatsAppの機能がまだ必要最低限のものに限られており、ティンダーやウーバーによる新時代が訪れるまえの当時としては、どれも目新しい機能ばかりだった。

ジェフリー・ケイン『AI監獄ウイグル』(新潮社)
ジェフリー・ケイン、濱野大道訳『AI監獄ウイグル』(新潮社)

なかには奇抜な機能もあったものの、つぎのドーパミン放出のタイミングをつねに求めているユーザーにとっては魅力的だった。たとえば、世界のどこかにいる見知らぬ人とつながりたければ、電話をシェイク(振る)するだけで、同じくシェイク機能を有効にしている誰かとつながることができた。

くわえて、競争相手となるフェイスブックとツイッターが中国で禁止されていたことも、微信への追い風となった。

微信はやがて中国の生活を支配するようになった。とくに、若い世代での人気は圧倒的だった。裏を返せばそれは、微信の利用者の行動についての圧倒的な量の情報が収集・監視されることを意味した。「人々は、監視のための実験台になろうとしていました」とイルファンは振り返った。「微信は、ユーザーの経験、購買履歴、『いいね!』、カップルの破局、テキスト・メッセージの巨大なオンライン・データベースを与えてくれた。ついに、エコシステムが完成しようとしていました。こうして、大規模な監視活動に必要な大量のデータが構築されていったんです」

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