なぜ中国は急速にIT化が進んだのか。アメリカ人ジャーナリストのジェフリー・ケインさんは「当初のIT活用は犯罪・テロ対策だったが、いつの間にか全国民のデータを集めるようになった」という――。(第1回)

※本稿は、ジェフリー・ケイン、濱野大道訳『AI監獄ウイグル』(新潮社)の一部を再編集したものです。

中国北京の天安門広場
写真=iStock.com/jonsanjose
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「犯罪に立ち向かうため」街じゅうにカメラを設置する

外国で中国について研究する専門家と同じように、中国という国家もまた、市民の生活についてほとんど何も知らなかった。そこで中国政府は、市民を追跡する方法の確立に乗りだした。

中国政府のために働いた経験のあるウイグル人難民のひとりに、イルファンという男性がいた。彼は、ウルムチ出身の30代の技術労働者だった。新疆しんきょう北部地域の中心地であり、商業の中枢であるウルムチでイルファンは、大規模な監視プロジェクトの運営スタッフとして働いていた。2015年に仕事を辞めたあと彼は、2018年に新疆から逃げてトルコに移住した。

イルファンは、貧しいウルムチ地域でなかなか仕事を見つけられずに苦労していた。条件のいい仕事の多くを独占したのは、地元のウイグル人を脇に追いやった漢族の中国人移住者だった。

「でも、ウルムチ市長とちょっとコネがある友人がいたんです」とイルファンは説明した。「その友人が、わたしのために電話をかけてくれた。それで2007年に、仕事をしないかと通信会社から連絡が来ました。その会社は、街のもっとも初期段階の監視システムの構築を担当するITマネージャーを探していた。わたしにとって、その誘いはとても大きな意味をもつものでした。それはどうか理解してください。ウイグル人がそういう仕事に就けるチャンスはめったにありません。そんな状況のなかで、政府の庇護と高い給料の両方を与えてくれる仕事に巡り合うことができたんです」

新しい仕事をはじめたイルファンは、ふたつの重要な場所へのアクセス権を与えられた。まず、地元の公安当局への出入りが許され、そこで彼は通信会社の監視網の管理を手伝った。さらに、通信会社のネットワークそのものにもアクセスすることができた。

「わたしに許されたアクセス権は」とイルファンは続けた。「かなり深い場所につながるものでした。中国がスカイネットを構築しはじめたのは、その2年まえのことでした。わたしたちに与えられた任務は、街をくまなく探しまわり、可能なかぎり多くのカメラを設置するというものです。政府が犯罪に立ち向かう手助けをしている、と上司たちは言いました。わたしもその言葉を信じ、とても立派な仕事だと考えていました」

ネットを活用しカメラの録画データを送信

少人数のチームとともにイルファンは、市のデータに記録された情報を頼りに、街角、路地、車のスピードが出やすい通り、強盗やひったくりが多い地域を見てまわった。それから彼のチームはカメラを設置し、公安当局につながる光ケーブルを接続した。そして当局の建物内にある制御室から、警察の諜報ちょうほう員が街を監視した。

「カメラの設置に適した場所を見つけたときには、あたかも頭のなかで電球がパッと光ったような感覚になります。『あそこだ!』とわたしは同僚に伝えました。時間とともに、設置場所を見つけるコツがわかってきました」

まだ電気が通っていない地域では、連続で最大8時間稼働するバッテリー式カメラが設置された。

派遣された技術者が運んでくるカメラには、「中電海康集団」という政府系機関のロゴがついていた。中電海康は、杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)と呼ばれる監視カメラ製造の新興巨大企業の40パーセントの株式を保有する機関だった。イルファンは、技術者がカメラを柱や建物に取りつけ、政府の監視システムに接続するのを見守った。べつの大手中国企業である華為(ファーウェイ)は、カメラに電力を供給する交換システムを提供していた。

イルファンの説明によれば、2000年代後半のあいだに、数多くの中国のテクノロジー企業が協力し合い、いわゆるIPカメラ(ネットワークカメラ)で構成される初期の監視システムを築き上げていったという。ネットワーク経由で映像を送信するこれらのカメラの普及によって、ビデオテープ録画機などのローカル録画デバイスを必要とするCCTV(クローズド・サーキット・テレビジョン)を使った従来の仕組みは時代遅れになった。この比較的新しくより効率的な技術を中国はすぐさま駆使し、カメラから管理センターにデータを送信できるというインターネットの力をおおいに活用するようになった。