教科書に書かれたハッピーエンドの筋書き
これまで、高等学校の世界史の教科書では、暗黙のうちに、ある筋立てにそった叙述がなされてきたと言えるかもしれない。つまり、歴史はハッピーエンドに向かっているという筋立てである。
さまざまな矛盾や対立による悲惨な現実があったものの、人類は自由や民主といった価値を発展させ、経済的にも繁栄してきたというような書きぶりである。悪しき帝国主義や専制支配は、いつか滅びると説くかのような語り口は、まさに勧善懲悪の世界観である。
このような楽観論には、もちろん理由がある。
教育の場で未来への希望をこめて歴史を語りたいのは、自然な気持ちと言える。また、1945年以降の日本は平和と安定を享受し、20世紀末までは経済的な豊かさも一定程度達成できていたから、そのような楽観的な気分にも根拠があるように感じられたのであろう。
今から思えば、そのような感じ方は視野の狭いものであったかもしれない。20世紀後半においても、戦争や内乱、貧困や疾病で苦しむ人々が世界に数多く存在していたからである。
まだまだ続く21世紀の世界は、どうなっていくのか。そのような問いかけは多くの歴史家の心の中にある。歴史学は将来を予測することを本分とはしていないが、現在、われわれ人類が立つ地点はどういうものかについて真剣に考えることは、本来の目的と言える。
目下刊行中の『岩波講座 世界歴史』は、先の見通せない現在の立場から、新たな歴史像を示そうとしている。私は、その編集委員に加わった一人の歴史家としての立場から、なぜ今、世界史について考えることが大切なのか、少し述べてみたいと思う。
「今」を知るためのツール
世界史を学ぶ意味としてまず挙げるべき点は、グローバル化の進む現代の人類社会について的確な認識をもつことである。
20世紀後半の米ソ対立の「冷戦」の構図が崩れて以降、世界各地の経済的な結びつきは強まってきた。そして、ある特定の地域の動向がグローバルな影響を及ぼすことは珍しくない。
しかも世界の多様な地域はそれぞれ個性をもち、その歴史背景を踏まえてはじめて理解できることは多い。
現在のアメリカ合衆国を例にとれば、連邦議会の二院制のありかた、州の権限の大きさ、銃規制の難しさ、人工中絶をめぐる論争、人種対立の社会的背景について知るには、歴史的な説明は不可欠だろう。香港は香港なりの、アフガニスタンはアフガニスタンなりの歴史があり、それを知らなければ現状の理解はおぼつかない。