中国のアフリカ戦略を読み解くカギ
また、国際的なつながりについても歴史的な経緯を視野に入れることは大切である。アフリカ大陸の多くの国々と中国との関わりは、決して21世紀になって突然現れたものではない。
中華人民共和国は、建国以来、米ソの陣営と区別される「第三世界」を代表する立場で発言することを好み、また台湾の中華民国と国際的な地位を争うために、1960年代には新興のアフリカ諸国との関係を深めた。中華人民共和国はそのような戦略的判断から、貧しい時代からかなり無理をしてアフリカへの援助を進めてきた。
1976年、タンザニアとザンビアの間に開通したタンザン鉄道はその一例である。アフリカ諸国から中国に人材を招く政策も長らく続いており、中国近代史研究者である私にとって、1990年代の中国留学時にアフリカ出身の留学生と中国語で会話を交わした経験は忘れられない。
昨今は米中対立が深刻となってきたとしても、今のところは世界の貿易や金融の面でのつながりは絶たれていない。その点では「冷戦」時期の米ソ対立と異なり、ひと・もの・かねの移動は盛んである。一方で、伝染病の対策や地球温暖化問題など、人類の全体で考えなければならない課題は山積している。
もちろん、個々の課題のために処方箋を書くのは歴史学の手にあまる課題である。それにしても、グローバル化の進む中、世界史についての基本的な知識は、国際情勢を読み解くうえで必須と言えるだろう。
人類の可能性と危険性を深く知る
さて、世界史について考えてみることのもう一つの意味は、人類社会の多様な可能性と危険性について深く知ることである。
過去の人々はさまざまな理想を抱いて、より良い社会を模索してきた。最初に少し言及したテミストクレスは、古代ギリシアの民主政治時代を代表する指導者であった。しかし、すでに古代ギリシアでは、民主主義が衆愚政治に堕落する危険性も指摘されていた。哲学者プラトンは、そのような問題について思索を展開した。
20世紀前半の中国においても、民主と独裁の問題は真剣な討論の主題となっていた。
とくに1920年代末からの国民党政権の時代には、日本との戦争に備えるために、強い指導力をもつ政権が必要とされる一方で、国民が一丸となるためには民主主義が欠かせないとする主張もなされていた。
とすれば、「中国では独裁の政治文化が歴史的に継続していた」という超歴史的な説明は、少なくとも中国近代史の視点を欠いた言い方だと思われる。中国近代史におけるさまざまな試行錯誤を経た後に中国共産党が政権を握ったということが何を意味するか。そのような重い問いかけが必要になってくる。