最年長が最年少に酒を注ぎ続ける

カラーになってからの小津映画は、表面上は少し懐かしい生活を描いた、切なくも平穏なホームドラマの感があります。しかし、その完成度の高さは、ストーリイとは別の次元での厳格さ、峻厳さが感じられます。

思い出すのは、例えばこんなエピソード。

1963年の正月、監督たちが集まった新年会の席上、最年長の小津は最年少の吉田喜重がいる末席に来て、ほぼ無言で酒を注ぎ続け、そのために正月の宴会がお通夜の様に静まり返ってしまいました。

この理由を吉田は、小津監督の『小早川家の秋』(61)を若者に媚びていると批判したことへの小津の答えだったと解釈しています。小津は実際に若い吉田に「媚びて」見せたわけで、年長者から媚びられることが実は如何に怖ろしいかを示したのではないかと思います。

一方、斬新な表現に目が行きがちな若手監督にとって、小津は完璧な豆腐料理を毎回きっちり作るだけの監督で、見事ではあっても見習うべき存在とは思えなかったのかもしれません。山田洋二監督も若い頃は、同じような作品を作り続ける小津を、批判的に眺めていました。

それがのちに自分も『男はつらいよ』で同じような作品を作り続けることになったのは、運命かもしれません。ちなみに後年、山田は小津の『東京物語』のリメイクとも言うべき『東京家族』(2013)を製作しています。

映画と人生を統御する

小津の美意識が戦後の世情とはズレたところがあったのは確かでしょう。ただしそのズレは、現に世に存在する親子の感覚のズレであり、どちらが正しいとか間違っているというものではありませんでした。

そもそも映画表現の正否は道徳的価値や社会性ではなく、美醜で計るというのが、小津流だったのではないかと思います。それが映画芸術における「道徳」です。小津の在り方は、他の何者でもなく、小津の美意識によって統御されていました。

小津は「映画はドラマ、アクシデントではない」とも述べたそうで、画面の隅々まで、俳優の瞬きさえも統御しようとした小津らしい言葉です。映画には映り込みというものが生じがちで、青空を好んだのも雲が勝手な動きをするのを嫌ったのかも……と思ってしまいます。

自分の人生を統御するには、妻子は持たない方がいい。そうしてまでも創りたいものが、自分にはある。それが小津安二郎の美学であり覚悟だったのでしょう。

ひとりで生きる。自分らしく生きる。それは身勝手に生きることではなく、自分で定めたルールに従い、誇りをもって矜持を保ちながら、「自分の仕事」をまっとうすることにほかなりません。

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