国会を軽視する議員が消滅

臨時国会で大きく変わったのは、野党側ではない。明らかに政権与党のほうだった。

予算委員会の答弁席には、安倍晋三元首相も、菅義偉前首相も、麻生太郎前財務相の姿もない。野党の質問に激しくかみついたり、無駄な答弁を延々と垂れ流したりする姿も、質問者の言葉を聞いていない、原稿にさえ目を通していないような覇気のない、それでいて自身の「実績」は延々と語る姿も、偽悪趣味で質問者を侮蔑するかのような答弁を振りかざして悦に入る姿も、国会から姿を消した。

ああいう存在がいないというだけで、国会中継を見る苦痛がどれだけ軽減されるのかということを、心の底から実感した。

「野党は批判ばかり」。衆院選における立憲民主党「敗北」の総括でよく聞かれる言葉だ。しかし、この評価は少しおかしい。批判とは野党の「役割」であり、どの党が野党であろうとも、当然に行われるべきものである(実際、民主党政権下で野党に転じていた自民党が、激烈に民主党政権を批判していた)。問題だったのは、政権を担っていた安倍・菅両政権が、政権にあれば当然に受け止めるべき批判に耐えることができず、野党の批判を封じたいが故に「批判ばかり」と世論をあおっていたことのほうだ。

もちろん後任の岸田政権が安倍、菅政権の宿痾から完全に脱却できる力を持ち得るかどうかは、現時点では判断しづらい。安倍氏は首相の重責を2度も投げ出しておきながら、なおも自民党最大派閥の領袖りょうしゅうに収まり、岸田文雄首相を牽制する位置につけている。安倍氏の動向には、年が明けても注意深い観察が必要だろう。

国交省のデータ改竄問題もあっさり陳謝

しかし、少なくとも国会における岸田政権の姿勢は、安倍・菅政権から変わってきたとは思う。驚いたのは15日の衆院予算委員会だ。この日の朝日新聞で、国土交通省が政府の基幹統計「建設工事受注動態統計」で、建設業者の受注実績データを改竄していた問題が報じられた。立憲民主党の階猛氏が事実関係を確認したところ、斉藤鉄夫国土交通相はあっさり事実を認めて陳謝。階氏が真相解明のための第三者委員会の設置を求めたのに対し、岸田首相は「至急検討したい」と早々に前向きな姿勢を示した。

これが安倍、菅両政権だったらどうなっていただろう。事実関係を認めるまでに、安倍氏がどれだけ無駄な答弁を繰り返すか。時に野党攻撃まで行うか。そうした姿勢をただすために野党側の時間がそがれ、やがて見ている側がうんざりして、国会や政治そのものから遠ざかってしまったかもしれない。

岸田政権の対応は、政府としては極めて「当たり前」の姿勢である。だが、そんな「当たり前」を国会で見られるようになっただけでも、筆者はある種の安堵を感じた。