最後に毎日社説はこう主張する。
「理事全員が辞任届を出し、加藤学長に対応を一任している。異常な事態だ。私学として学生や社会の信頼を取り戻すには、解体的出直しが欠かせない」
外部の有識者による再生会議が来年3月までに改革案を示す。その改革案自体がどこまで日大という巨大組織の持つあしき本質を糾弾し、改善を目指すに値する内容かどうか、私たち国民が見極める必要がある。
東京社説も「再生への道筋は見えない」と酷評する
東京新聞も毎日新聞と同じ12月14日付で日大事件の社説を掲載している。その東京社説は冒頭で「理事長兼学長は前体制との決別を宣言したが、再生への道筋は見えない」と指摘し、「第三者委員会による異様な体質の改善と大学自治の拡充が必要だ」と訴える。見出しも「日大の再生 大学自治拡充が必要だ」である。
「再生への道筋は見えない」との言い回しは、今回の日大事件の根深さを端的に示している。
東京社説は「大学の自治の拡充」を強調する。大学自治は、大学が学問と教育の場である以上、文部科学省などの行政機関の指導よりも大学の自主性を尊重しようという趣旨に由来する。しかし、その自主性がバランスを失って偏ると、大学組織が閉鎖的になり、トップによる独裁化が生じる。大学の組織が大きければ大きいほどその独裁化は進み、大学をむしばむ。
独裁化は私物化に直結する。田中容疑者による日大事件も独裁化と私物化の中で起きた。これを防ぐのが自浄能力だ。しかし、残念なことに日大の理事会にはそれがなかった。
東京社説はこう主張する。
「相次ぐ私大の不祥事を受け、文科省の有識者会議は学外委員による評議員会を大学の最高議決機関とする提言をまとめた。だが、学外者が中立である保証はなく、大学自治の観点からも教職員による自浄能力向上を優先すべきだ」
簡単に言えば、学外委員の評議員会に理事や監事を選任・解任できる権限を持たせるというのが、文科省とその有識者会議の考え方のようだ。しかし、東京社説が指摘するように評議委員会が人事権を中立的に行使できるとは限らない。まずは特定の大学にモデルを設置して状況を観察してから判断してみてはどうだろうか。