日大の「暗黒の歴史」が繰り返されている

日大という大学には帝王やドンといわれる人間たちが、莫大な私学助成金や学生たちの学費を私してきた「暗黒の歴史」がある。

1960年代後半、吹き荒れた学生運動の「先駆」となったのは「日大闘争」だった。

以前にも書いたことがあるから詳しくは繰り返さないが、当時「帝王」とまでいわれた古田重二良会頭は、学費の相次ぐ値上げに怒った学生たちを右翼学生や体育部の学生たちに襲わせた。その中に相撲部の田中もいたといわれている。

古田は、学生たちのデモ鎮圧のために機動隊まで導入したが、ついには学生たちに屈し、3万5000人の学生が見つめる中で大衆団交に応じ、要求を認めた。

だが、当時の佐藤栄作首相が「日大の大衆団交は常識を逸脱している」と発言。約束は反故にされ、古田は会長として再び日大に戻るが、その年に死去。

あの時、古田的なものを一掃できていれば、田中英寿前理事長も出てこなかったかもしれない。

田中は警察関係とのつながりも強い。

週刊新潮は、安倍元首相時代、官邸の守護神といわれた警察庁出身の杉田和博前官房副長官もその1人ではないかと報じている。

もっとも杉田は、「サシではないと思いますよ。記憶にございませんね」と週刊新潮に答えているが。

警察官僚出身で衆院議員だった亀井静香も週刊新潮で、「相撲取りからマンモス校のトップまでいったんだから、大人物だよ」と田中を擁護している。

“田中派”の評議員が理事長に復帰させるのではないか

特捜部は、悪質な所得隠しに妻の優子も共謀していたと見て捜査を進めているという。実刑も視野に入れているともいわれる。だが、もしそうなっても、数年後に再び田中が理事長に復帰する可能性があるとささやかれているようだ。

現在の加藤直人学長はアメフト事件(日大の選手が監督やコーチの指示で相手選手に危険なタックルをして負傷させた)当時、アメフト部の部長だったが、不祥事にもかかわらずトップに就けたのは、田中の力があったからだといわれている。

今回の件で理事は総辞職したが、大半が田中派といわれる評議員はそのままである。彼らを理事に横滑りさせ、時機を見て田中を理事長に復帰させるのではないか。

こういうケースはほかにもあると大学ジャーナリストの石渡嶺司が「揺れ動く日大~田中色一掃かそれとも復権狙いか、今後のシナリオは」(Yahoo!ニュース 12月2日 7:54)で書いている。

「2008年の東京福祉大事件です。当時、総長だった人物がわいせつ事件により逮捕。総長も辞任し、大学は『今後、大学経営に関与させない』と表明します。

しかし、服役後には大学職員(事務総長)として大学に復帰。2020年には学長としても復帰します」