医療を受けることを頑なに拒否し続けた息子
玄関を入って左手の和室に、手作りの「仏壇」が見えた。膝丈ほどの小さな机の上に青い風呂敷がかけられている。位牌やりん、香炉が揃えられ、毎朝用意しているとわかる「お供え膳」が据えられていた。写真も飾られている。遠目から息子さんだろうと察しがついた。
2019年8月、千枝子さんは息子の治さんを亡くした。治さんは、49歳だった。30年近くにわたって自宅にひきこもっていたという。御線香をあげさせてほしいと頼み、6畳ほどの和室に入ろうとしたところで、千枝子さんの声が飛んできた。
「あー、アカンて!!」
私の足下を指さしていた。驚いて視線を下ろすと、畳1畳分ほどのスペースにタオルが敷かれている。
「そこは治がずっと寝とったから、床が抜けてしまっとるでね」
和室の入口付近の畳が、腐って抜けているという。実は、治さんは晩年、がんを患っていた。だが、医療を受けることを頑なに拒否。千枝子さんは一人、この畳の部屋で治さんの看病を続けていたという。
病状が悪化していくと、体からがんの進行による腹水が漏れ出し、たびたび布団と畳が水浸しになってしまった。その結果、床が抜け、今はタオルで応急処置をしていたのだ。
千枝子さんもただ傍観していたわけではない。治さんに医療を受けさせようと、何度もタクシーで病院の前まで連れていった。しかし、現地へ着いても治さんは決して車から降りようとしなかった。そのたびに、運転手に謝りながら自宅へ引き返したという。
20歳のときにバイク事故を起こし足を切断
「一人の大人が嫌だと言えば、無理やり連れていくことはかなわない。どうしようもないよ」
畳1畳分をまたぎ、和室に入る。窓がないためか、まだ昼間なのに薄暗かった。天井からぶら下がる蛍光灯の紐を引っ張ると、仏壇に飾られた写真がはっきり見えた。振り向きざまに笑顔を見せる治さんの姿が写っている。
この畳の部屋にあぐらをかき、手にはゲーム機が握られていた。ただ、その遺影はとても若かった。「もうね、写真は、中学生のときが最後だよ。そのなかから、笑っているものを探したんだ」
御線香をあげ顔を上げると、千枝子さんがその写真を手に取り、懐かしそうに眺めていた。治さんは中学卒業後、ラーメン店や縫製工場で働いていた。生活が一変したのは、20歳のときだった。バイク事故を起こし、足を切断する大けがをした。事故以来、ふさぎ込むようになり、自室から出てこなくなったという。
「思うように動けなくなったことで希望がなくなったのかね……。本人の口からちゃんと理由は聞けんかったな」
千枝子さんは、ひきこもる息子の生活を変えられないかと、市役所や民生委員にたびたび相談していた。だが、心配して訪ねてくる人たちを、治さんは毎回追い返してしまったという。
「何しに来たんや、来んでいい、って怒鳴るやろ。すごいんよ、勢いが。それで、どうしようもなくて。何一つ、頼めなかった」
山奥まで足を運んでくれる支援員らに申し訳ない気持ちが募り、相談することを諦めた。