アイデンティティ喪失という問題もある

仕事上の不具合はほかにも無数にありました。会社では「青野さん」と呼ばれ、「青野」としてメディアに出演するのに、給与明細は「西端」。一部の契約は戸籍名でなければならず、ハンコは常に2つ持ちです。毎度「これはどっちを使えばいいのか?」と調べるのも面倒ですし、仕事上の人格として一貫性もない。もし間違ったら差し戻されて書類を作り直さないといけない。名前の使い分けが非常に面倒であるのはもちろん、人事部や経理部や法務部や情報システム部にも「2つの名前を管理する」という余計な仕事が増えていることに、経営者としてあらためて気づきました。

また、僕が経験していないところでは、それまで取得した資格や特許、提出した論文、海外での活動で使っていた名前と、結婚後の名前が異なることで、実害を被っている方もたくさんいらっしゃると聞きました。

「大変さ」に気付き、姓を変えた他の人にも話を聞いてみると、問題は仕事以外にも及ぶことがわかりました。

まず、20年、30年、40年と使ってきた名前というアイデンティティのひとつを失うことで、精神的苦痛を感じてしまうこと。僕の場合は仕事上で「青野」を名乗れていますが、旧姓を使う機会の少ない、たとえば専業主婦の方々などは喪失感が大きいことでしょう。

「強制的夫婦同姓」のせいで婚姻できないケースも

また、僕たちと一緒に原告になったカップルのように「結婚したいけれど夫婦同姓にしなければならないことが理由で結婚できない」ケースもあります。たとえば珍しい姓同士であったり、長男長女同士、ひとりっ子同士であったりと、姓に対して折り合いがつかないために事実婚を選ぶカップルも多いのです。

もちろん婚姻制度自体に意味を求めず、事実婚を選択している方々もいるでしょう。

しかし、「本当は結婚したいけれど姓を変えることが足かせになっている」人たちがいるのであれば、現在の制度には改善の余地があるわけです。

このように、「強制的夫婦同姓」で別姓を認めない――それまでの人生で何十年も使い続け、自らと一体化している旧姓の利用を制限する――ことは、男女ともに社会で活躍する世の中では、効率的な経済活動を阻害し、混乱をもたらしています。さらに、個人の幸せを阻んでいることも間違いないのです。

改姓して以来、僕は「なぜこんなに不便な目に遭わないといけないんだ?」と疑問や怒りを膨らませ続けてきました。「現在の制度が『強制的夫婦同姓』だからこんな不便が起こるんだ、別姓のままでも結婚できる選択肢を社会に用意すべきだ」とぶつぶつ文句を言い続けた。それがときどきメディアに取り上げられるようになったものの、本当にごくまれで、「まだネタ的に弱いんだな」と世間の関心の薄さをひしひしと感じていました。