※本稿は、プレジデントFamilyムック『藤井聡太 天才の育て方』の記事の一部を再編集したものです(肩書は取材当時のものです)。
5歳の藤井聡太は言った「もっと詰め将棋はありますか?」
愛知県瀬戸市にある「ふみもと子供将棋教室」。1999年より幼稚園児・小学生への普及を目的として、開室した。主宰の文本力雄さんは、藤井三冠の師匠・杉本昌隆八段が学んだことでも知られる名古屋市の板谷将棋教室で将棋を学んだ後、自ら教室を開いた。
6畳2間のこの教室が、棋士・藤井聡太の原点ともいえる場所だ。
藤井三冠に将棋を教えた祖母が、孫のためにと、この教室を見つけてきたのだという。
「最初に会ったときのことは、よく覚えています」と文本さんは懐かしそうに語る。冬の日、母親と祖母に付き添われて教室に現れた5歳児の印象は強烈で、そしてほほ笑ましいものだったそうだ。
「髪にカールがかかっていて、ほっぺが赤くてぷっくり。丸いおでこがかわいかった。でも、新たな環境への戸惑いや、初対面の大人たちに物おじすることはなく、将棋を指したくて仕方ないという感じでした」
実は藤井三冠はふみもと子供将棋教室の前に、別の将棋教室を訪れていた。そこは60歳以上限定の高齢者向けの福祉会館で催されるクラブ活動のようなもので、年齢的に門前払いを食らったのだという。
「年齢制限に引っかかったのが、よほど残念だったらしく、彼が『早くおじいちゃんになりたい』と言っていたと聞いて、思わず笑ってしまいました」
将棋を指したいという情熱。あどけない表情と小さな体の内側には、秘めた圧倒的熱量があったという。幼稚園児とは思えない根気と意欲があり、初心者レベルの20級からスタートして、あっという間に大人の中級者レベルである4級まで上り詰めた。
「合宿時には、たくさん用意した詰め将棋のプリントを制覇してしまい『もっと問題はありますか』と迫ってくる。探求心、集中力、読みの深さ、全部揃っていました」