「敗北して泣く聡太をぎゅっと抱きしめました」

教室には秀才が大勢いたが、藤井三冠は群を抜いていたと振り返る。

「6年生で1級の腕前の男の子が、一度も王手をかけられずに聡太に攻めつぶされたことがありました。そのとき聡太は幼稚園年長。6年生は『小さな聡太に負けて、さすがにショックです』と泣きそうな顔をしていましたね」

文本さんは彼の家庭環境にも感じ入った。父親の冷静さ、母親の屈託のない明るさ、そして祖母のカラッとしていて朗らかな人柄。長所をとことん伸ばせるような家庭環境が垣間見えたという。

将棋盤の上に将棋の駒
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記憶に一番残っているのは、小学3年生2月末の「小学生将棋名人戦・愛知県大会決勝」だそうだ。子供向けの将棋大会は都道府県や市区町村単位のものが多いが、小学生将棋名人戦は各都道府県の優勝者が全国大会に招かれるという大規模なもの。

羽生善治九段、渡辺明名人といった名だたるプロも全国優勝を飾った、登竜門とも言える大会だ。藤井三冠はこの年の8月にはプロ養成機関である奨励会への入会が決まっていた。奨励会に入会すると、アマチュアの大会に参加することはできなくなるため、小学生名人戦への最後の出場だった。

「準決勝はハラハラしました。考慮時間ギリギリまで、次の一手を指さない。それでも最後は局面を読み切ったのか、終盤はバタバタと手を進めて勝ち切った。肝の据わった指し回しで勢いに乗ったと思いました。本人もそう感じていたようでした。決勝戦は見ている私たちまで気持ちが高まりました。

ただ、期待にたがわぬ戦いぶりを見せたものの、大熱戦の末に投了。敗れたことに気持ちの折り合いがつけられず、涙をこらえきれなかった。対局室から泣きながら出てきた聡太をお母さんがぎゅっと抱きしめました。胸を震わせながら、シクシクと泣き続ける彼とそれを抱きしめる母の姿を私はただ見つめていました」