異色の経歴「海上自衛隊→大学監督→湘南ベルマーレなど→大学監督」

ここで大森の略歴を簡単に振り返ろう。1969年に神奈川県茅ケ崎市で生まれ、地元の中学から藤嶺藤沢高校に入学。推薦で進んだ中央大学を卒業後は海上自衛隊に入隊すると同時に、神奈川県の社会人サッカーリーグの「厚木基地マーカス」に所属する。同チームでは、全国自衛隊サッカー大会や国体で全国優勝をした。

35歳で選手引退後、2004年神大サッカー部監督に就任。神奈川県大学サッカーリーグ(1部)だったが4年後、よりハイレベルな関東大学リーグ1部に昇格させた。

2011年以降、40代になった大森はJリーグのプロサッカークラブ「湘南ベルマーレ」(平塚市)や、教育事業などを展開する「星槎グループ」で地域スポーツ振興に携わった後、2019年4月から神大監督に復帰した。

現在は、サッカー部監督だけでなく、神大スポーツセンタースポーツ戦略室専任職員を兼務している。

ボール
撮影=清水岳志
 神奈川大学サッカー部の練習風景 

大多数の部員はサッカー選手として食ってはいけない。だから……

大森の実家は会社を経営していて経済的には余裕があり、大学時もサッカーに没頭できる環境だった。だがその一方で、大学時代の寮暮らしでは毎日酒を飲んでサッカーをするだけの日々。生活を律する力が足りず、自立するためのライフスキルが低かった、という。そのことを社会に出て痛感する。

自衛隊は米軍も共同の基地生活。仕事に上も下もなく、日々の生活で自立を求められた。食事の用意、給与計算、住まいの修繕も芝刈りも、自分たちでやった。凡事徹底。当たり前な日常、というものを自衛隊に入って理解できたという。大学までのサッカー中心の生活がどれだけ自分に甘いものだったかを思い知ったのだ。

しかし、この気付きがサッカー指導に大きな影響を与えることになる。

「フォワードも仲間のために守備をしないといけません。サッカーの基本と日常は同じ。日々の生活の常識を学べば、サッカー選手としても成長するし信頼もされる」

神大サッカー部には『F+1 新たな可能性』という理念がある。Footballに加えて何かひとつ。これはサッカーだけではなくて、それ以外に新たな可能性を見い出そうというものだ。大多数の人間はサッカー選手として食ってはいけない。生きていくには自分に合った仕事を見つけないといけない。そのために、ふだんから意識付けしている。

具体的にはサッカーに関係ある、なしを問わずさまざまな形での地域貢献を模索してきた。例えば、「中山トラッシュバスターズ」というボランティア活動。サッカー部で地元の中山商店街などのゴミ拾いを定期的にやってきた。サッカーだけでは得ることのできない経験を部全体で積み重ねている。