誰が子どもを育て、夕食の準備をしているのか

2010年にノルウェーのリサーチ会社「回答分析」が行った労働市場調査によると、企業トップの半数近くが、「自ら低賃金の職種を選んだ女性は、賃金の低さに不満を漏らすべきではない」と答えている。

高給取りの経営者に聞いてみたい。「女性が皆、高収入の仕事を選択したら、誰があなた方の子どもの世話をし、誰が高齢になったあなたの親を介護し、誰があなたが家に帰った後の職場の掃除をするんですか?」と。

特に若い男性に、男は多く働いている分、多く稼ぐべきだという意見が見られた。男性が長時間働く裏で、誰が子どもを保育所にお迎えに行き、夕食の買い物をしているかは、この調査で一切言及されていない。

同じ調査によると、質問を受けた人の過半数が、幼い子を抱える両親がフルタイムで働くのは困難とした。また、10人中6人のノルウェー人女性が、自宅で子どもと一緒に過ごしたいと願っており、35歳未満の女性は、養ってもらえるのであればキャリア・アップを諦めてもよいと考えていると答えた。2人以上子どもを持つ女性のうち、65%が扶養してくれる夫を持つ女性を羨ましいと思っていることも分かった。

これらの調査結果は、様々な解釈が可能ではあるが、多くの人たちが十分にもてていないもの――子どもとの時間や一人の時間――を切望していると私は解釈した。

「私は自由なのか?」という問いが出る社会は健全か

時短勤務をする女性は、少なくとも二つの思いを募らせていると言えよう。

「離婚したら、すぐにでもフルタイムで働き始め、今よりも稼ぐことができる」
「子どもが大きくなったらフルタイムで働ける」

「時短の罠にかかった」と一生思い続ける労働者はほとんどいない。

リン・スタルスベルグ『私はいま自由なの?』(枇谷玲子訳、柏書房)
リン・スタルスベルグ『私はいま自由なの?』(枇谷玲子訳、柏書房)

自ら時短勤務を選んだ女性は、選択肢をどう捉えているのだろう? 自分の健康、子どもの幸福、家族にとっての最善を蔑ろにする? どうしてそんなことをしなくてはならないのだろう? 女性運動のため? 男女平等のため?

「常にストレスと疲労を抱えて駆け回っていなくてはならない」と、女性運動と男女平等への単なる嫌悪で終わってしまう。

誰もが称賛する素晴らしき男女平等はこれで正しいのかどうか自問すべき時だろう。「私はいま自由なの?」と。

今は男女どちらも家事と仕事に参加しているものの、家庭生活を円滑に進める責任を主に負うのは相変わらず女性だ。二重の役割は、今も主に女性が負っている。

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