宇宙から地球を眺めると、「人間などちっぽけなものだ」ということを思い知らされます。地表からわずか400キロ離れただけで、人間が生きている痕跡など、海上を行くタンカーの航跡か大気中の一筋の飛行機雲くらいしか確認できなくなる。地球の46億年のタイムスケールで考えてみても、人類の営みなど、所詮は「食べて寝て、次世代を生み育てること」の繰り返しにしかすぎません。

ここに、僕が「農のある暮らし」に進んだ理由があります。「食べる」には当然その前段階として「つくる」行為があります。ですがその「つくる」を僕たちはどれだけ知っているでしょう。米や野菜を育て、自然との調和の中で生きること、四季のサイクルに浸ること、それこそが僕なりの環境問題への答えとなったのです。

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宇宙に飛び立つ前、僕は忘れられない体験をしました。ロシアの宇宙飛行士は出発の2週間前から、バイコヌールという地でトレーニングを受けます。毎朝マイナス20度の極寒の中、ジョギングをするのですが、そのコースにはいつも野良の子犬が一匹いました。ある朝、地面に落ちている赤いネッカチーフに近寄って見ると、なんとそれは布ではなく血が凍結した塊で、その先にはいつもの子犬の首が転がっていたのです。

ショックでした。生命のはかなさ、を感じさせられた瞬間でした。「もし明日死ぬとしたら、いま自分が生きている意味は何なのか」。死を前提として、そこから逆算する人生を初めて思い描きました。数日後、宇宙から眺めた地球の青さが心に沁みたのは、この経験があったからだったのでしょう。

「1回きりの人生をどう生きるか」。その命題はなにも宇宙にまで行かなくても向きあえることです。人生の節目に立ち止まり、これまでの人生や残りの生活を見つめ直す時間を持つだけでいい。身近な人の死からも、自分なりの死生観や、ひいては人生の意味を見いだすことができるでしょう。

生きていくなかで、脳が震えるほどの瞬間をどれだけ持てるか。それが、人生の価値を決めていくのだと思っています。

(三浦愛美=構成 大杉和広=撮影)