男は自転車でJR南千住駅方面に逃走するのが通行人に目撃されている。なお、國松は狙撃されたことに自責の念を持っている。
【國松】朝、出勤するので午前8時半頃にマンションを出たところ、後ろから、4発連続で撃たれたわけです。その後の記憶はなく、病室で意識を取り戻した。私はあの時はもう死を覚悟していましたから、病院の集中治療室に警察庁次長(関口祐弘)を呼んで長官の後任人事を進めるよう頼んだんです。
誰がやったかを詮索するのは無意味だ
だが、彼から「長官、辞めるなんて言ってる場合じゃありません」と怒られた。
ほんとに医師たちのおかげです。そのため、のちに救急ヘリの仕事に携わることになるのだけれど、九死に一生を得た。
もしあの時、警察庁長官が射殺されていたら、国家の威信にも傷がついた。私の命を救ってくれた先生方は、国を救ってくれたのだと思います。
狙撃事件は時効となりました。未解決で終わったのは残念だ。ただ、時効になった以上、誰がやったかを詮索するのはもう無意味なんです。
オウム真理教の関係者にせよ、犯人を名乗って出てきた男にしても、犯行をうかがわせるものはそれなりにあるのだろうが、どちらとも言えないとしか、僕には話しようがないんだ。
警察官にとっての「敵」とは個人ではない
——警察庁長官だけが判断し、決裁する仕事ですか?
【國松】そんなものはありません。警察は、組織で仕事をしています。長官の目の前に現れる仕事は、つねに幾人かの判断の積み重ねが付いてきて、それが終わった後のものです。そのなかから何らかの「チョイス」をするのが仕事です。
そうした「チョイス」のなかに、その長官の「個性」が出ることはあるかも知れませんね。
長官時代、私が感じていたのは、「相談する人がいない」ということでした。長官が決めれば、それは、警察としての最終判断になる。
最後となると、意外に相談できる人はいないものです。
私が、唯一、相談に行った(もちろん、たまにですが)のは、後藤田さんのところだった。それも「政治家後藤田」ではなく、「先輩後藤田」です。
私はそのことを「おみくじ」を引きに行くと言っていました。
彼は狙撃犯に対する憎しみは持っていない。誰が自分を殺そうとしたかという個人レベルでの話ではないからだ。犯人として撃った個人を特定し、逮捕し、罪に服させるのが警察官としての仕事であり、個人を敵として憎んでいるわけではない。思うに、警察官が感じる「敵」とは個人ではなく、正義に対する大きな脅威ではないだろうか。
そして、彼が長官として幸せだったのはおみくじを引きに行く時の相手が後藤田正晴という名長官だったことだろう。