採用担当者の共通認識「学歴はやはり正直」

僕は大学院の博士課程をドロップアウトして街をぶらぶらしていたときに、かつて著者として本を書いたことのある出版社から「編集者をやらないか」とスカウトされ、そのままあまり深く考えずに社会人となった。

その出版社で4年ほど編集者として働いた後、退職して、今はフリーランスの書籍ライターという仕事で生活している。

就職活動を経験していないので僕自身は学生の就活事情にそれほど詳しくはないのだが、幸い月末になると卓を囲む麻雀仲間に、東大経済学部の卒業生であり、大手人材情報会社勤務を経て独立、現在も名だたる企業の採用活動をサポートする人事コンサルタント会社の代表・小林倫太郎さん(41歳)がいた。

ある麻雀日、小林さんには集合時間の1時間ほど前に雀荘の近くの喫茶店に来てもらい、取材料としては格安のコーヒー1杯を約束して、東大生の就活事情について話を聞いた。

「就職活動ってのは、学生の全方位的な資質が試されるはじめての戦いなんですよ」

注文したコーヒーが届くと、小林さんはそう切り出した。

「自分の能力・志向に合わせた志望業界の選び方から、かぎられた時間内での活動時間の配分の判断、活動時間の絶対量を生む体力と気力、文章で己を売り込むエントリーシートの書き方や面接での立ち居振る舞いまでね」

どこをゴールと定義するかは学生次第だが、就職活動で「成功した」といえる結果を残すためには、多方面にわたる広く浅い能力とそれらをうまく統合して発揮する高い自己管理能力が必要となるのだという。

「多い会社では4次5次と選考を重ねますし、世間で言われるほどごまかしは利きませんよ。入社難度の高い企業の採用担当者をごまかし通せるなら、それはそれで立派な能力と言っていいでしょう」

大学の就職課の指導のあり方などにより多少の誤差はあるが、一般的に大学のランクと学生の就職活動の質は驚くほどに一致するものなのだそうだ。

東京大学のイチョウの木
写真=iStock.com/wnmkm
※写真はイメージです

それは単に筆記試験の点数が高いであるとか学生時代に取得している資格が多いといったことだけでなく、単純な行動量の多さや無難な服装・髪型、面接でのソツのない受け答えといった面でも、「学歴はやはり正直」というのがいまだに採用担当者たちの共通認識であるとのことだった。

「東大までの人」の就職活動

ところが、われらが東大生に関しては、各企業の採用担当者たちが口をそろえる奇妙な現象があるという。

「僕らは『東大までの人』と呼んでいますね。『あの子は「東大までの人」だよねー』って」と小林さんはなにやら小ばかにした口調で言った。

学歴社会の頂点である東大生にかぎって、就職活動の場での評価が極端にお粗末なものがいるのだそうだ。

「エントリーの数は少ないし、行動量も少ない。小手先の訓練で伸ばせるSPIを伸ばす努力もしない。面接でも熱意がないし、最低限の業界研究もしてこない。ちょっと突っ込んだ話をするとまるでFランク(底辺)大学で遊びほうけていた学生のようにトンチンカンな応答に終始して話がまったくかみ合わない。『東大までの人』の就職活動は、こんな調子なんですよ」

「大学別に企業説明会の日程が用意されているし、書類選考も悪名高い『学歴フィルター』で素通りしちゃうから、必死になる必要がないのでは?」

僕がそう尋ねると、小林さんは「問題の根はもっと深いんですよ」とかぶりを振った。

「東大までの人たちは、社会に興味がないんです。正確に言えば、興味がないわけではないんですが、社会で成功したいという欲求は人一倍強いのに、その過程をまったくイメージできていないんです。

『30歳までに年収1000万円欲しい』だとか『将来は経営者になりたい』といった願望だけは強いのですが、それをかなえるためにはどんな仕事に就いて、どういうふうに成功するかという具体的なビジョンがまったくもって貧困なんです。

それなのに、なぜか自信だけは満々なので、そういう子がクライアントだと本当に困りますね」

耳の痛い話だった。大学院の博士課程まで進学し、人より長く大学にいた僕も実社会に対するイメージはずっと希薄だった。社会にたいして興味もなかった。

ようやく「物心」がついたのは、就職してしばらくたった30手前のころだったように思う。