なるべく「普通の家庭の子ども」と思われたかった

本当は一時帰宅をしたくないと思っていたが、愛美さんには周囲の顔色をうかがう癖があった。施設の職員や両親を前にすると、嫌だと口にすることはできなかった。面倒なことを言って嫌な顔をされたり、トラブルになったりするのが怖かった。施設の職員から、自宅に帰ったときのことを深く聞かれることはなかった。もし、そのときにちゃんと聞いてもらえていたら話すきっかけがあったかもしれないと今となっては思う。でもそのときは本当の気持ちを心の奥底にしまったまま、何事もなかったかのように生活するしか方法がなかった。しかし、虐待の経験は愛美さんの精神を傷つけ、静かに蝕んでいた。

施設での愛美さんは、どちらかというとおとなしい子どもだった。なるべく普通の家庭の子どもと思われたかった。「施設の子はばかだよね」と平気で言う同級生がいて、施設にいることは恥ずかしいことなんだと思っていた。高校生になり、進路を決めるときには、自分のように虐待を受けた子どもを助ける仕事につきたいと考えるようになった。保育士を志して大学に進学することを決め、20歳まで施設で暮らすことができる「措置延長」が認められた。

初めての一人暮らしで起きた、心身の異変

そして、大学に通っている途中に成人を迎えた愛美さんは、施設を退所。残りの学生生活は一人暮らしをしながら過ごすこととなった。初めての一人暮らしに期待と不安が入り交じる中、愛美さんの心身に異変が現れ始めた。

「施設を出てから、虐待のフラッシュバックをするようになりました。母親に殴られたことや、言われたこととかを急に鮮明に思い出してしまうんです」

アパートの扇風機
写真=iStock.com/Ryusei Kano
※写真はイメージです

母親から殴られて殺されそうになったこと。そのとき感じた恐怖。

「あんたなんか産まなきゃよかった」という母親の言葉。

幼いころのつらい記憶が、いくつも脳裏に浮かび、愛美さんを苦しめた。

「なんで私はここにいるんだろう。死にたい」

施設にいるときは、常に誰かがまわりにいる状態だったので、嫌なことがあってもすぐに気を紛らわせることができた。

でも一人ですごしていると、よくないことばかりが頭に浮かんで、とめられない。

これまで感じたことがない深い孤独が愛美さんの心を覆っていった。

孤独を紛らわせるために、誰でもいいからそばにいてほしいと思うようになった。

道ばたで声をかけてきた男性や、出会い系アプリで知り合った男性と過ごすこともあった。男性と体の関係を持つことで、「自分が必要とされている」と感じることができた。