ことに切実なのは国立大学だ。2004年の法人化後、国から大学へ配られる「運営費交付金」は減少を続け、この16年間で総額1兆2400億円から1兆800億円へ減少した。これまで運営費交付金は、結果が出るまで時間がかかる基礎研究にも使われていたが、回せるお金が少なくなった。それがボディーブローのようにきいてきている。
国からのお金が減った分、研究者は外部の研究資金に応募・審査を受け、研究費を獲得しないと研究を続けることができない。だが、外部資金の最大のスポンサーである政府は「選択と集中」政策を進め、産業や暮らしにすぐに役立ちそうな研究や、世界が競い合うような旬のテーマにお金を投じる。
例えば、健康・医療、ICT(情報通信技術)、AI(人工知能)、自動運転、量子技術、省エネ、防災、環境などの分野には積極的にお金を投じる。しかし、すぐに何に利用できるか分からないような基礎研究には冷たい。
「金持ち研究室」と「貧乏研究室」の格差が深刻に
その結果、「局所バブル」が起きた。同じ大学でも、予算をたくさん獲得した「金持ち研究室」と、予算不足を嘆く「貧乏研究室」が存在する。金持ち研究室の中には予算が余り過ぎて使い道に困り、高価な外国製の実験装置を購入するところもある。一方、「選択と集中」の対象にならなかった研究者は、基礎研究にも配分される科学研究費補助金(科研費)を頼り、応募する。しかし、科研費の競争率は高く、新規採択の割合は3割を切る狭き門となっている。
さらに、政府が「科学技術立国」政策の柱として、若手研究者に対して、定年までひとつの組織で働くのではなく、さまざまな研究の場を渡り歩いて武者修行をすることを求めたことが、若手の不安定な身分を生んだ。高齢の研究者は定年まで身分が安定しているのに、若手は3~5年の任期付きで採用されることが多く、世代間の「格差」が生まれている。
ノーベル賞受賞のきっかけとなった研究は、30代の成果であることが多いが、その時期を不安定なまま過ごしている様子を見聞きすれば、若い人々の間で研究者になろうという意欲も減るだろう。研究力低下へもつながる。