「結婚とは、まさしく相互の誤解に基づくものである」
小室圭と結婚が決まった秋篠宮眞子さんに聞いてみたいことがある。
あなたは両眼を見開いて小室圭という男を見ているか。結婚はいかなる羅針盤も発見したことがない荒海だということを覚悟しているか。
イギリスの詩人、オスカー・ワイルドは「結婚とは、まさしく相互の誤解に基づくものである」といっているが、その美しき誤解が解けたとき、あなたはどうするのか。
読売新聞(9月1日付)が「秋篠宮眞子さま年内結婚」と報じて以来、各メディアの凄まじい取材合戦が始まった。
特に、女性週刊誌や週刊文春、週刊新潮は、秋篠宮眞子さんに厳しい論調に終始している。
「暴走婚」(週刊文春9/16日号)「プリンセスはどこで道を踏み外してしまったのか」(週刊新潮9/16日号)「もはや眞子さまは皇室から“追放”されるかのようだ」(女性自身9/21日号)
それ以上に気になったのは、母親の秋篠宮紀子さんが9月11日の誕生日に、記者から寄せられた質問に文書で回答したが、内容がほとんど昨年と同じだったことである。
読売新聞の報道が出た後だったので、紀子さんの口から娘が結婚しますという言葉が聞けると思っていたが、空振りに終わった。
これが何を意味するのか。結婚はさせるが、私たち両親は、この結婚を決して認めていないという意志表示なのだろうか。
スケジュール的に切迫しているこの時期に、いまだに沈黙を守っている秋篠宮夫妻には、どういう腹積もりがあるのだろう。
いずれにしても2人の結婚は認められ、早ければ眞子さんの誕生日である10月23日前に、入籍、皇籍離脱となるのだろう。
2人の結婚生活はいったいどうなるのか
私は秋篠宮眞子さんと小室圭の婚約延期のときから、2人の意志は固く、間違いなく結婚すると見ていた。
それが成就し、喜びに溢れる2人の笑顔を見てみたいと思う。だが、週刊誌とはやや違った観点からではあるが、秋篠宮眞子さんと小室圭の結婚後について憂慮している。
当然のことだが、恋愛と結婚はまったく違う。冒頭書いたように、結婚前は相手のことを両眼を見開いてしっかり見ろ、結婚してからは片目をつぶれといわれる。