報道によれば、2人が出会ったのは国際基督教大学の3年、20歳のときだそうである。6月に交換留学の説明会で言葉を交わしたのがきっかけで、7月には初デートをしたという。
「“しっかり者のお姉ちゃん”とされていた眞子さまにとって、小室さんは甘えられる唯一の相手だった。眞子さまは交際開始から早い段階で結婚を意識され、その思いに小室さんも、すぐに応えられたのです」(秋篠宮家関係者)
眞子さんが英国留学しているとき、三菱東京UFJ銀行(当時)にいた小室圭が会いに行き、仲睦まじい様子が何度か報じられている。
文春は「婚約前からマンションに何度も通っていた」
さらに週刊文春は、眞子さんは婚約前から横浜市北東部にある小室圭の2DKのマンションに何度も通っていたと、衝撃的な“事実”を報じている。
最初に訪れたのは眞子さんが英国留学を終えた後だという。
「女性は自らの両親にも、彼の紹介を済ませていた。彼からはすでにプロポーズを受けていたし、その後、英国に留学したときにも、彼は大型連休を利用して会いに来てくれた。帰国後、ようやく彼の自宅を訪れることができたのだ」(週刊文春)
交際を始めた翌年の2013年12月、小室圭は眞子さんに、こうプロポーズしたという。
「将来、結婚いたしましょう」
だが、留学から帰ってからは外で会うわけにはいかなくなった。
「人目を憚ったのか、お二人の逢瀬は“おうちデート”が多く、(中略)小室さんが秋篠宮邸に遊びに来るときは、眞子さまの部屋で二人きりで“おこもり”状態になることもあったそうです」(宮内庁関係者)
愛は順調に育まれていった。だが、小室圭の母親・佳代と元婚約者との金銭トラブルが報じられ、婚約が延期になる。小室圭は弁護士資格を取得するためにニューヨークへ行ってしまうが、毎日やり取りは欠かさなかったようだ。
「自由に羽ばたきたい」という願望は秋篠宮家の教育方針か
週刊新潮で佳代の知人が、こう語っている。
「佳代さんは『圭と眞子さまは、いつもスカイプを使ってやり取りしています。圭は画面の眞子さまに“君はいつでも可愛いね”と話しかけているんですよ』とも自慢していました」
口の悪い週刊新潮は「さながらジゴロの口上」のようだと評しているが、それはともかく、小室圭がニューヨークへ行ってから3年以上、会話はできても、直にお互いが触れあうスキンシップは一切できていないのである。
普通のカップルなら、交際中に何度か諍いを起こして別れたり、よりを戻したりしながらお互いをよく知るようになる。
だがこの2人には、そうした時間がないまま、眞子さんの思いだけが募っていったのではないだろうか。