学校のように「成長経験を提供してもらえる」という甘え

教育内容によって偏差値が変わるということも現実に起こりだしています。もちろん、学歴フィルタリングは依然として健在ですし、東大→京大→旧帝大という強固な序列に変化はない一方で、そこから漏れたところでは教育内容次第で急激に偏差値を上げる大学も出現するようになりましたし、これまでは無名でも教育内容次第で偏差値が変わるようになったのです。

ここから、経験や学びによって成長できる、成長できれば人生が変わるという公式が徐々にですが、少なくとも、若者や保護者の間には浸透しつつあって、企業も同じ範疇でみられるようになったということです。

成長は自分で勝ち取るものではなく、誰かが経験させてくれるもの。こういう考え方が刷り込まれた結果、成長させてくれる職場はどこか、成長させてくれる上司や同僚はいるかと探すようになった。

正直、これについては甘えている部分もあると思います。本来、成長するかどうかは自分次第。どんな環境でも学ぶことができるし、成長することができるはずなんですが、社会人になる前に、学校をはじめとする様々な場所で成長できる経験を提供されてきたこともあって、成長できる経験を提供してもらえると思い込んでいる部分があるのです。

明るい将来のために企業がやるべき確認作業

戦力になるかどうかさえわからない若者に給料を払って、おまけに成長経験まで提供しなければいけないのか。馬鹿らしい。そう考える中高年はいっぱいいると思います。先述したように、成長できるかどうかは自分の問題です。受け身でやることじゃありません。正論だと思います。

その一方で、自分が経営する、働く会社が成長できる場かどうかを、改めて考えてみることは非常に重要なことであるのも確かです。企業は教育機関ではないのですから、わざわざ成長できる機会を与える必要はないかもしれない。ただ、成長できる場所かどうかを自ら確認することは、人材を上手く使うことができているかどうかの再確認にもなりますので、知っておいて損はないと思います。

成長という言葉を、若者が活躍できる余地のある企業かどうかという点で捉えてはどうでしょうか? どれだけ技能があったとしても、いつまでも中高年社員に頼るわけにはいきません。いつかは若手に任せる日が来ます。それを踏まえると、若手が成長を実感できる企業は前途が明るいはずです。

さて、あなたが勤務する組織は若手に成長の機会があるでしょうか? 個別具体的な経験を論じる前に、若者がどういう能力を身につけられるかを考えてみましょう。「御社に入れば、どういう能力が身につくんですか」と質問された時、どう答えるでしょうか? 「出世できます」は回答になっていません。「うちは大企業だから安泰している」も答えではない。安定度を基準に企業を選ぶ学生がいるでしょうが、企業の大きさと成長は互いに異質なものです。